DV・虐待系は、被害者基準であるために被害者の主張によってその有無が判断される。冤罪+真の被害者救済ができない可能性がある。
被害者支援の視点しかないために、被害者が隔離され支援されるが、加害者支援・治療が欠如して単に恨みが残ることになり、次の被害の温床になっている。小中学校のいじめでは、加害者児童・生徒の人権と教育権が守られるが、成人になると更生のための手段がいわゆる懺悔療法のみになる。加害者がなぜこのような行為をするに至ったのかという個別の生い立ちに対しての視点がなければ症状としての攻撃性や支配的性格を治療するに至らず、加害性を生み出した被害体験(理不尽な支配や愛着対象からの別離、見捨てられた意見等のトラウマ)を重ねることになる。
DVや虐待は、「支配」を目的とする行為であり、個人的支配関係には暗黙のヒエラルキー社会がその素地として存在し、原家族や幼少期のモデルが影響している。
どの時代の支配者も、多くは自らの劣等感の補償としての有意性をその欲求の源泉とし、一旦得た支配的地位からの転落を恐れ、攻撃行動をエスカレートさせていく。虐待は親という立場によって得られた支配的地位を現に体感させ、根源的な不安を埋めるという無意識的な欲求を持つ。
再婚家庭における虐待の多くは、実母と継父であるが継父にとって子は生物学的他者であり、自分の遺伝子拡散を妨げる邪魔者であるため、これを排除しようという本能ともいうべき欲求が生じることも他種では散見される。生殖に参加するオスが多数存在する群れ社会を形成する種では、集団での子育てによってオスの子殺しを抑制する機能があると思われるが、現代日本社会では父母以外の関与を排除する傾向にあり、社会的な圧力の行使と攻撃欲求の緩和機能が制限されている。
実際に子を虐待する親は実母が多く、これは上記いずれの視点によっても説明ができない。しかしながら、実際の虐待数を減らすために最も注力すべきは数的に多い実母の虐待対策である。「シングルマザー」対策として、経済的援助が叫ばれているが、実母の収入と虐待危険性との比例・因果関係を示す調査結果は見られない。つまり経済的支援によって実母の虐待危険性を下げるとはいえないというべきである。
実父による虐待数よりも実母による虐待数が多いという実態は、いわゆる一人親家庭の構成率が実母のおいて高いということのみならず、男性は攻撃的な加害者であり女性は被害者であるというステレオタイプが誤りであり、人はその立場や状況に置いて男女を問わず支配的な行動を取りうるものであることを示し、男性と女性の力の差に比べ、大人と子どもの力の差が圧倒的であることを考慮すれば、女性における弱者への攻撃性は看過されるものではないことが理解できる。
他国では、むろん養育費の支払いが日本よりも確実になされている事実があるが、そうであっても経済的優位性が監護者適格の要因とされることもあり、実母の経済的支援の中心は実母の就労状況の改善である。これには、女性の社会進出という社会的課題と共に、母になって男性に養ってもらうという、女性には許され男性には許されない日本文化的思想を変えていく必要がある。憲法には勤労の義務があり、憲法遵守を目指すならば女性であっても母であっても就労するために国家による支援の義務があるというべきである。
同様に、就労に関して個別のケースを見れば育休期間終了後も就労しない選択をする場合があり、待遇の悪さ等を挙げる場合もある。自ら起業する選択をせずに就職先を選択するのみであるのはキャリア教育の失敗であり教育における課題である。
虐待対策では、虐待死を防ぐことも重要である一方、実際には圧倒的多数の生存者支援こそ現場での課題であり、それらは一次予防から三次予防まで連続した対策がなされるべきである。早期発見・早期対応は二次予防にあたるが、本来的な一次予防こそ最も重視すべきである。すなわち加害者が加害者とならないような支援であり、加害者が乳幼児期に愛情をもった愛着対象と過ごし、それは理想的には実父母であるべきである。親になる夫婦に親としての責任と関与について指導することが最初のステップとなり、親教育ができないとしても親になる前の子どもたちに対して教育の一環としてより重視されるべきである。
二次予防は、早期発見・早期対応であり、家庭内外からの通告、保健師の巡回や継続的関与、児童相談所や警察の権限強化が有効である。虐待は世代間連鎖の可能性が指摘されており、二次予防としての虐待保護は次の世代への連鎖を止める一次予防につながるが、虐待する親をその家庭から排除することは、その親が他の子の親になるという世帯間連鎖を止めることにつながらない。従って虐待する親に対する治療的関わりこそ虐待予防として検討されるべきであり、また、世代間連鎖によって加害者となっている者への社会的責任であるといえる。
離婚と再婚を機に実母が子から実父を引き離すことが多く(その逆もあるが以下比率に従い表記)、司法もそれを幇助している現実があるが、実父との継続的・実質的親子関係が継続する場合には実母の虐待の抑止効果(一次予防)に加え、実母による虐待の早期発見・早期対応(二次予防)が期待されるとともに、実父による子どものケア(三次予防)という包括的な支援が期待できるといえる。諸外国同様の共同親権制が実現され、共同養育が普及することが虐待予防につながると考えられる。
虐待によって被害を受けた子どものケアは三次予防にあたるが、安全・安心の提供が必要であることは言うまでもない。加えて子の意思を鑑みれば、怖いお父さんやお母さんから解放されることのみならず、怖いお父さんやお母さんが優しくなってくれることこそ本来の希望であると考えられる。父母の一方が離婚を希望し、虐待加害者を子の家族としての地位から排除する場合、トラウマ治療の視点からは、それが回避という症状であり、その症状の継続はPTSD等の疾病状態の改善に寄与しない。回避せずに段階的に暴露していくことこそ現在認められているPTSD治療の方法であり、そのためには加害者治療と被害者支援のための暴露に向けた家族再統合の方向性が考慮されなければならない。
加害者治療は、加害者の持つ無意識的支配欲求と意識的承認欲求に気づき、表面的な行動として現れる虐待行為が自らの心理的課題の投影であるという理解から始まる。自らが抱えている幼少期のトラウマ・愛着・被害体験の回想と性格形成への推察、原家族の養育と一般的養育の違いについての学び、本当は自分は何を求めていたのかという無意識的欲求の洞察がなされた上で、現在の自分のコミュニケーションの改善、子や他方親の視点に立った反省と今後の行動の検討、そして社会に還元される継続的活動への参加などが求められているといえる。
以上より、虐待「死」対策として、早期発見・早期対応を主とする施策は、短期的に見れば功を奏するだろうが、全体としての虐待増加を留めることはできず、虐待死を引き起こす可能性を有する母数が増加することから長期的に見れば虐待死の増加を防ぐことは難しい。虐待対策は一次予防こそ重要であり、加害者を生まないための施策ならびに加害者治療のための施策こそ、真の虐待対策といえ結果としての虐待死減少につながるといえる。