こういう話はたぶん夜分で

こういうタイミングでしか書けないので

こっそり


ふと物音で目が覚め

嫌な気持ちでない

そっとさっくんを覗きにいくと

なんと回し車から降りかけ?の状態で

うとうとしてる?


なんて愛しく可愛いんだ

こんなレアな姿を見れるなんてしあわせ

プレゼントだな


私は常々「この仔は神様からのお預かりもの」と書いていますが

これは私がとても感銘をうけたブロガーーさんの記事のひとぶんです


私は昨年末に先代るーくんを亡くし

しばらくの間

ひたすら泣き続けた

喪失感と申し訳ない気持ちと

後悔と反省とない交ぜになり

とにかく泣くことしか出来なかった


そのなかでずっと通ってるマイ神社へ

お参りにいっていいのか悩んでたのです

マイ神社は穢れを嫌う神社なので

不浄中は参拝してはいけません


それが飼っているペットの場合は?


マイ神社にお願い申し上げたいことが

たくさんたくさんある

でも定義がない

それが神社にたいして

失礼にあたるのかあたらないのか

とにかく調べまくりました


そこでふと出逢ったのがそのブログでした


その方と今お付き合いがないので

まるっとご紹介するわけにはいかないけれど


○愛鳥さんを亡くして「神社参拝はいいのか」と調べてた結果問題ないと理解して参拝した

というお話から

その方が知りえたこととその方のおもいと

綴られており

そこには

○この仔たちは神様からのお遣い

神様のもとにかえるのに

参拝しちゃダメなんておかしい

逆にお礼を申しあげたい

という言葉に始まり


○この仔達はこの世でお役目を終えたら

神様のもとへ還る

○動物の魂は人と違っていて

この世で愛をもらうためだけに生まれてくる

○亡くなって数日は近くにいて

お気に入りの場所にいたりする

○動物は人が悲しむことをしっいるので

お別れの準備で病気になることがある


などその頃の私にはもう号泣しかない

言葉が綴られており

ああ

これはるーくんがメッセージをくれたのだなと


その状態の私に

そのとき響く言葉が降ってくる

これこそがご縁だと思いました


そして

マイ神社にお参りし

社殿の横に在る立派な樹を

「るーくんの樹」と名付け

今でも逢いにいっています


このあとまたも新しいご縁があり

人生初の「アニマルコミュニケーション」と

いうものを受けたのですが


これは偽りの世界ではないな

本当に本当にるーくんと繋がってるなと

実感しました

絶対にるーくんと私らしか知り得ないことを

話されたのもだったけれど

じめじめした気持ちも悲しみもすっ飛ぶ

お話が出てきて

本当にもう悲しみから卒業出来たのでした(笑)

最後までるーくんはるーくんだった(笑)


このお話はまたいつか…



これはまさしくその参拝時の写真です


大好きな神社の境内に立ってる

綺麗な金色に輝く大木


キンクマのるーくんにぴったり

綺麗な金色の葉が
たくさん社殿の屋根に載ってて
まるでるーくんが寝てるみたいな
それはそれは素敵な場所に
るーくんは居ます

いつも参拝時はこの樹に手をあて
たくさんるーくんを想っています

どうかこれから
悲しいことが起こっても
泣いて泣いて泣いたとしても
ちゃんと「うちに来てくれてありがとう」
と最後に言える
強い深いエニシをさっくんと結んで
いけますように

出逢ったことは必然で
全て導きのもと
ならばこの先起こるすべてのことに
感謝して
後悔しないなんて絶対に無理だけど
出来るだけ後悔が減らすため
さっくんとむかいあって
さっくんの側にいる

改めてこんなことを夜更けに思う
にゃんたなのです