フランスのテロ事件における、フェイスブックのプロフィール写真について。 | リアルを語るコラムニスト

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さて、巷では多くの人がフェイスブックのプロフィール写真をフランス国旗に変えるいるそうです。

それと同時にプロフィール写真をフランス国旗にする事に反対している意見も多いそうです。

 

反対派の意見は概ね下記の通りです。

「追悼の意を表すことは大事だが、なぜフランスの時だけなのか?」

「トルコだってつい先日、テロを起こされて100名以上が殺されたのに何もしなかったじゃないか。」

 

これは逆立ちしたって、反対派の意見が正しいと言えます。

 

プロフィール写真をフランス国旗に変えるなら、トルコで起こったテロの時はなぜプロフィール写真をトルコ国旗に変えなかったのかを明確に、論理的に説明出来るなら、私は何の文句も言いません。


今まで中東ではISに殺された一般人が多くいたにも関わらず、フランスの時だけプロフィール写真を変えた理由を説明出来るなら、私は何の文句も言いません。

「トルコの時は無関心だったが、フランスの時は身近に感じたので」と素直に言うなら、私は何の文句も言いません。

 

きっと、ほとんどの方が、トルコでのテロには無関心だったのでしょう。

そして、ほとんどの方が、イラクやシリアで殺されている一般人に無関心だったのでしょう。

そこを素直に認め、懺悔の気持ちを持ってプロフィール画面をフランス国旗に変えるなら私は何の文句も言いません。

 

しかし、ほとんどの方は、その汚点に触れたくないだろうし、考えたくもないのでしょう。

だからプロフィール画面をフランス国旗にする事に反対の人に対して「人の善意を汲み取れない、心の狭い人間だ」と反論するのでしょう。

しかし、その反論は間違っているのは、上記理由からして明らかです。

 

 

はっきり言ってあげましょう。

プロフィール写真をフランス国旗に変える理由、それはお手軽に善意を気取れるからです。

「私は被害者の事をかわいそうだと思っています」って。

 

もちろん、フランスのテロの被害者になった方はかわいそうです。

ただ、これって「かわいそう」と思っているだけで、何かを改善させようだとか、中東問題をどうすべきか、という意思は入っていません。
つまり、何の解決にも、進展にも貢献していません。
 

今回のテロ事件をしっかり考えている人ならば、安易にフランスのテロだけにフォーカスするような、フランス国旗をプロフィール写真なんかにはしないはずです。

 

 

テロや戦争に対して、このような安易で偽善的な考えを持ってしまっている人が、本当にとてつもなく多いです。

殆どの人と言っていいでしょう。

 

良い機会なので、私達、日本人がどれだけ偽善的な考えを持っているのか説明しましょう。

 

映画、永遠のゼロなんてその典型です。

主人公が他人には死ぬな、戦うなと言って、自分はアメリカ艦隊に自爆する道を選ぶ。

そんなストーリーにみんな夢中になりました。
しかも、戦争映画なのにフィクションです。

戦争はいけない、なんて言っている傍ら、美化され、作られたストーリーの戦争映画に感動する人々。

戦争はいけない、戦争は悲惨だ、というのであれば、いくらでも話を盛ってしまったり、好きなように表現ができるフィクションなんて、認めてはいけないはずです。


愚直に事実のみを知る努力をするべきです。
でもそんな基本的な事に、99%の日本国民は気付いていません。


この映画を見ることで戦死者やテロの犠牲者は浮かばれるのか?
そして、現在起きているテロのように、やられたらやり返すことで犠牲者が浮かばれるのでしょうか?
浮かばれるとは言えませんし、浮かばれないとも言えません。

つまり、フィクション戦争映画で涙を流したり、テロに対してやられたらやり返す行為は、今、生きている私たちが自己満足しているだけなんです。
それを犠牲者のために、とか言って正当化しているだけです。

なんて偽善的なんでしょう。
本当に気持ちが悪い。


戦争はいけないと言いながら、フランスでテロ攻撃を受けたら、空爆でテロリストと一緒に一般人が死んでも、そこには目も向けず、その現実を知ろうともしない。

 


「テロには屈しない。」

簡単に言えば、やられたらやり返す。ってことです。
この言葉の重みを誰も理解してない。


テロリストを打倒するということは空爆してテロリストと一緒に一般人も殺してしまい、民家を焼き払い、多くの難民を出すことになる。


皆さんよ~くご存知のように、テロリストだけにピンポイントで自動的に当たるミサイルも銃弾もこの世には存在しません。


べつにテロリストと戦うことに反対しているわけでなく、その覚悟を持ってテロには屈しないと言っているか?と私はあなたに聞いているのです。

武力で戦うということは、罪も無い一般人が100%犠牲になってしまうという事です。
政治家だろうが、一般人だろうがその覚悟を持って、発言するべきです。


なんでもかんでも批判するな!!と思う人もいるでしょう。
批判ばかりしてたら何も表現出来ないだろ!!と思う人もいるでしょう。
しかし、その意見は間違っていると断言させて頂きます。

誰であろうと、何か意見や考えを表明する際は責任が発生する。
なぜなら一人一人の意見が集まり、集合体となって国家が形成され、国家としての行動が決まるからです。
だから選挙の一票は、人命と同じ重さを持つと私は考えます。

そして責任が発生するという事は、熟慮してから発言や行動をしなくてはいけません。

「テロは許さない、その為には中東で難民が出ようが、空爆によって一般人が殺されようが、それでもイスラム国を打倒するのだ!!」
と、覚悟を持って、「テロには屈しない」と発言しているなら、私は何の文句を言うつもりはありません。


さて、最後にテロリストに対して私の考えを述べさせて頂きます。

上記長文を踏まえた上で私はテロには屈しない、と宣言します。
と、同時に他者の考え、宗教観を受け入れる心の余裕を持ち、お互いの妥協点を探る努力も必ず実行することも宣言します。
しかし、それでも最終的に他者と分かり合えず、私の家族や友人達が命の危険にさらされるなら、私はテロには屈しない、と改めて宣言します。
それが心の狭いヤツだと言われても、私は覚悟を持ってテロには屈しないと宣言します。


所詮、人間は自己中心的で利己的な生き物だという事を、私はよ~く理解しているし、その事実を素直に認め、そして諦めてもいます。

 

そんな心の狭い人間である私でも、フェイスブックのプロフィール画面をフランス国旗にするような、物事を深く考えず、偽善的な人間よりはよっぽどマシだと思います。