追記有りです!
エレミヤの70年やゼカリヤの70年や歴史について調べたものを、載せる前に今回はまず、ものみの塔聖書冊子協会がなぜエルサレムの滅びをBC607だと…どんなに苦しい言い訳をしてでも言い張らなければならないのか...
チョットおさらいしてみたいと思います。
何を信じるか...また、信じたいのか...は個人の自由です。ものみの塔聖書冊子協会が主張するエルサレムの滅びBC607年説を固く信じていらっしゃる方はそれでいいと思います。しかし、そのような方は、この記事をこれ以上読み進めますと気分を害する恐れがありますので読み進めないでくださいね。
ものみの塔聖書冊子協会の聖書解釈、重要な教理なんですが、いわゆる普通のカトリックでもプロテスタントでも正統なキリスト教の方が聞くと倒れそうになるかもしれません。
エホバの証人の教理...
ダニエル4章に出てくる「天に達する高い木」は神の最高支配権をあらわしている。その木を切り倒すのを許された。すなわち、神が支配権を行使しなくなる、異邦人の時。
エゼキエル21:25〜27 ユダの最後ので王ゼデキアは「冠を取り外せ、法的権利を持つ者がくるまで誰のものにもならない わたしはその者にこれを必ず与える」と言われる。
ルカ21:24 諸国民の定められた時 ...神は支配権を行使しない。
では、いったい諸国民の定められた時の期間はどれくらいか?
ダニエル 4:10〜15 にあるように天まで達する木は切り倒され根株はたがを掛けられ...
ダニエル 4:16 七つの時をその上に過ごさせよ。
なので、異邦人の定められた時は七つの時
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では、七つの時の期間はどれくらいか?
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黙示録(啓示) 12 : 6 、14 を読むなら
1260日が一時と二時と半時に等しいことがわかる。
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一時と二時と半時 合計して三時半なので
1260日=三時半
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1260 ÷ 3.5=360
一時 = 360日 となる。
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なので、七つの時は360 × 7 =2520日
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民数記14:34
1年に対して1日。この規則に従って1年に対して一日と考えるなら
2520日=2520年と考える。
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エレミヤ書で70年間エルサレムが荒廃すると予言されていて、エルサレムの荒廃は...紀元前537年(秋)に終わった(エルサレム帰還を遂げた時 エズラ3:1)ので、それから70年前......紀元前ですから過去に遡る時は足しますので
537 + 70 = 607年
出てきましたね。
西暦前607年です。
※ エレミヤの70年に関しても、 一般のキリスト教と、ものみの塔聖書冊子協会の解釈は違います。
※ ものみの塔聖書冊子協会の言うエルサレムの帰還の年は、聖書の記述の通りに考えるなら少し違います。
計算に戻りますね
西暦前607年が出てきました
諸国民の定められた時は西暦前607年に始まった事になるので、その年から2520年後の...
西暦1914年に、イエスが神の天の政府の王として即位、支配を始めた。
※ 西暦1914年(秋)としていましたが今のものみの塔の出版物では季節までは言及されていません。しかし、1904年の時点では西暦1914年10月と言っていました。
戻ります…
1年目からカウントするので紀元前ですからBC606ですよね。なので 2520-606 =1914年
しかし...細かい事を言いますと、紀元前607年から2520年と言う事は...0の概念がなかった時代はいいですけど0年を考慮に入れると、BCとADをまたいでますから、それぞれに1年ずつで合計2年プラスするなら1916年になってしまうんですよね。
頭の弱い私はぐちゃぐちゃになりそうなので表で考えてみました⬇ (*^^*ゞ
2年の差があるのはわかりました。
⬆の表を期間で見ていくと
0概念有りの場合、BC2年からAD2年の期間 4年に対して
0概念無しだとBC2年からAD2年の期間は2年です。
↑↑↑上の表で私は0概念無しの方の1年をBCもADも同じにしていましたので、さらに細かくすると...こんな感じになります↓↓↓
古代は1年が春から始まるのが主流で、それが1月から始まるようになり...時をハッキリとさせるのは難しいようですが、だいたいこんなもんかな…?って感じです。
まぁ...聖書のいろんな聖句を出してきて計算するのも変な話ですが…西暦1914年を出す上での大間違いの原点は、エレミヤ書の70年の解釈を間違ったことにあると思います。解釈を間違ったために西暦前607年がエルサレムの滅びた年でないとならなくなり、それが崩れると教理自体が総崩れとなってしまうのです。
なので、どんなに無理な事を言っても無謀な事を言っても不誠実な記載をしても勘違いを誘うような記載をしてでも、何としても守らなければならないものなのです。
考古学もいろんな事が解明され発見され、もはやエルサレムの滅びが西暦前607年だと言ってるのはものみの塔聖書冊子協会くらいです。
それは本、歴史の資料集、今や大規模な図書館のようなネット検索...ものすごい量の情報がたくさんありますが、ものみの塔協会以外でエルサレムの滅びがBC607年である事を見つけることはできませんでした。
昔はごまかしも聞いたかもしれませんが、現代となってはますます厳しい立場に置かれます
それでも、西暦前607年にエルサレムが滅びそれから2520年後の西暦1914年に天の王国が支配を開始し、終わり日が始まった...という教理が成り立たなくなってしまいますし、そうなると教理が総崩れとなってしまいますから、変えることができません
ちなみに...
ものみの塔聖書冊子協会は1914年の数十年前から1914年に終わりの日に突入する!気を付けるように告げていた!と、ものみの塔協会はよく言ってますよね。実はこれ、大違いなんです。これも終わりの日に突入...ではなく、終わる...って告げてたんですよね。なので、当時でも、予言外しと騒がれたようですよ。そんなことをずっと繰り返してきたんですよね。
脱線してしまったので戻します~
だからこそ、ものみの搭協会がエルサレムの滅びの年としている西暦前607年が絡んでくる歴史や人物、時には聖書の記述すら曲げて…苦しくなればなるほど、悪質としか思えないような記事を書く事になってしまいます。
考古学が発達していない時代ならともかく、たくさんの粘土板が発掘されている現代では歴史をごっそり20年を足したり移動させたりは無理無謀でしょう。それに、エジプトの歴代のファラオの統治年ひとつとっても墓に刻まれているので確定してますから動かすことはできません。
しかし…どんなに頑張っても、もう無理かも知れませんね。今でさえエルサレムの滅びが西暦前607年なんて相手にされないでしょう。時代が進めば進むほど発掘されたものが解明されて益々厳しくなるんでしょうね。
ものみの塔聖書冊子協会の上層部は分かってるんじゃないですか?新しい光として、どうしたら信者を騙しつつ教理を変えられるか...作戦を練っていたりして...
……(o_ _)oパタッ