減量中にウォーキングマシン、トレッドミルってやつね。
あれでぼーっと歩いていると、いろんなことを考えるわけです。

前回記事→【長文】 筋トレ10年で見えてきた景色 



今シーズンの減量もほとんど終わり、3年前より20キロ軽いというのもおもろいな~と思ったり思わなかったりしてる次第だ。


前に「ボディビル・筋トレ10年目に際して」という記事を書いた。

そこでは、ずっとユルくボディビル、筋トレをやってきて思っていること、自分の現在地、自分が出せる結果、そして目標に対して「現実的に達成できるのか?」みたいなところを、主に冷静に分析したんだよね。偏差値50の凡人として。


これは当事者として感情的に分析したというより、当事者である自分を第三者目線から見た冷静な分析だった。

そして、この分析はあながち的外れではないと、今も思う。

「筋トレの才能がある・ない」というところから一度離れて、かなりフラットな状態でいろんな人を見て、その中で「自分はこういう位置にいるな」と分析したわけ。


だから取り組み方についても、筋トレしている人だけじゃなく、していない人まで含めた中で自分を見ていた。

筋トレしてない人から見ると「へぇ」ぐらいで終わるし、筋トレしてる人から見ると「まあそうだよな」と思うところもあれば、「お前、やってないだけやろ」と思うところもある。

実際、自分の心境としては、
「自分のやれる範囲はこのぐらいです」 
「そこに投資できるリソースはこれだけです」 
「じゃあ、そのリソースをどう最大化するんだろう」

みたいなことを書いたんだけど、これって、言うて「やらない理由」を書いてるだけにも思えてきたんだよね。前回のブログでも記載したけど。


というのも、マジで分析しすぎてて、熱量がねえんだ。今の状況で最大熱量を注いだら、筋トレ嫌いになっちゃわないかなって、少し怖くてね。

分析屋さんすぎるんだよな。
職も分析屋さんだからさ。

分析屋さんとしての人生しか生きてないんじゃないかって。

主人公みたいな生き方を、あの文章の中ではしてない。誰しも自分の人生の主人公だってのに、、

自分自身の目線、つまり第一者目線と、その自分を俯瞰して見ている冷静な分析者の目線。
これを毎回しちゃうね。そしてそこそこ上手いのよ。

けどこの主人公マインドと、分析この二つって、マジで相反するものなんだよね。
第1者目線VS第3者目線。


自分として生きる上では、ぶっちゃけ分析する人なんて必要無いんだよ。だって自分は第1者だから。
本当は失敗や傷つくのも含めて人生なんや。

だから私は、やらない理由をただただ並べてるだけなんじゃないかと。という分析も立ち上がった。

例えば、
「毎日筋トレ2時間やります。食事も完璧に管理します」 →「いや無理無理。仕事で外食もあるし」 「食べなきゃいいじゃん」 →「いやいや、取引先と食事よ」
みたいなこともあるわけ。

もちろん、現実的に無理なことはある。たくさん。


でも一個一個振り返ってみると、
じゃあ週に2時間しか筋トレできなかったとして、その2時間を本気で取り組んだかって言われると、

「なんか今日パンプしねえな」 
「疲れたな」
 「もう次のセットで終わりでいっか」
みたいなのが普通にあるわけ。

そりゃあるよ。
なぜかって、私は筋トレを癒しだと思ってるからね。日々のご褒美なの。

嫌いになるの嫌やもん。
ご褒美故にに辛く向き合ってないの。


でも、この「辛く向き合う」っていうのは、なぜ必要なのか。それは、俺が将来的にバッキバキな姿で70キロになりたいから。と薄らながらも思ってるから。しかし、このままでは俗に言う夢追いおじさんと同じになってしまう、、

……いや、こういう分析もいらないわけ。

主人公だったら、
やるのか、やらないのか。 
できるのか、できないのか。
それしかないの。
できなかったとしても、
じゃあ今できる最善は何なのか??

そういう考え方をした方がいい。
その方が楽しい。はず。

「私は今、これをやりたい」

結局、それって大事なんだよね。


で、こういうことを思い起こさせてくれた人がいる。トレーニング仲間のお兄さんである。

最近、息子も生まれて、大忙しな人なんだよ。
トレーニングに向き合ってはいるけど、自分のトレーニング時間はあまり取れていない。

そんな中で、彼は張り切ってトレーニングしたら、腰の骨を折ったらしい。
ひびが入ったとか、骨折したとか、そういうこと。

一緒にトレーニングする予定もあったんだけど、
その前に折っちゃったみたいで。
「え、大丈夫?」
ってなって。

さすがに骨折した人をトレーニングに誘うわけにはいかないから、その日はやめようってなったの。

普通だったら、
「ちょっと安静にしとくわ」 
「治ったらまたやるわ」 
「体ちっちゃくなっちゃうな、どうしよう」
みたいになるじゃん?


普通って何なのかわからんけど。

そしたら彼から即答で返ってきたのが、
「なんか、さらにでかくなりそうな予感ですわ!」
みたいな。

笑っちゃうよね。

だって骨折ってんだぜ。
骨が折れるぐらいまでやったのに、

「自分、まだいけます。いかせて下さい。」
みたいな。

大いにヤバい。
普通の考えではないの既にwww


でも、このマインドって大事だなと思った。


別に「骨が折れるほどやれ」と言ってるわけじゃない。

ただ、そこまでやった人にしか言えない言葉ってあるもんやなと思って。

じゃあ、それを俺に当てはめたときにさ。
分析ばかりして、
「全体から見た自分の位置」 
「冷静に考えた自分の位置」
みたいなものを知ったところで、
で、どうなん?

って話じゃん。

もちろん、その情報を人に教えたり、商品として売ったりするときには大事なんだよ。

「今あなたはこのぐらいだから、これぐらいやりましょうね」みたいな。

自己分析としてのアプローチとしても悪くはない。


でも、骨が折れてんのに、

「いや、俺ならまだ先に行ける」
って言ってる人間と、分析ばっかしてるやつ。
そんな二人が同じ時間、例えば1時間ずつトレーニングしたとして、ある程度の知識が揃っている前提だったら、絶対に前者の主人公の方が伸びるわけ。

取り組み方が違うから。

自分事として物語を捉えてるからね。


「うわあ、これが、、私にはなかったもんや」
って気づかされた。

こんな思考に気付かせてくれた友人には本当に感謝している。。。

確かに前の記事で書いたように、
私は今、筋トレに人生の多くを突っ込めているわけでもない。

今、できてるわけでもないし、
やろうと思って簡単にできる事でもない。




でも、じゃあ週にトレーニングできるほんの少しの2、3時間のトレーニングを最大化できているかって言われたら。。。

大甘いですよ。
全然できてない。大甘え。


じゃあ、その数時間で行けるところまで行ったろうと!


その数時間について、
「自分はやり切った。もうこれ以上できません」 「その数時間だけは、世界中の誰よりも取り組みました」
って言える時間を作んなきゃなと思った。

だって、骨折った友人がそんな前向きなんだから。
やってらんねえよな、こっちも。

こっちもそんぐらいのマインドでやるっきゃねえんだよな。

マインドですよ、すべては。

なんかこんな話をしてたら、私もでかくなるような気がしてきた。

最近、二頭筋いい感じやしね。
なんか嬉しいもんね。
ワクワクしてきた。


減量期は、あんまり大きくはならないんですけどね。もう明けたから、少しずつ強くなるよ。マインドよ。


最後の最後、こんな記事を書くときまで分析しちゃってるのは、もうしょうがない!!
分析マンとしての主人公が俺だから。
それはしゃあない。

もう治んないの。人生だから。末期!


でも、じゃあ分析マンならば、誰にも負けないぐらい自分を分析して、すげえ冷静に取り組んで、その上で前向きに強く大きな人間になるっきゃないよね。

目指せ、仕上がり70キロ。
どうよ、この夢。
頑張ります。