東日本チェリーカップ優勝
1992年の山形国体を記念してスタートしたこのイベントは、東北や関東、北海道の小学生ボーラーを集めて25年もの歴史をつないできたきた大会。
関東では各都道府県の全国大会予選で2位になったチームに出場権が与えられ、埼玉ではミサハン男子とさいたま市HCが出場した。
2年連続の全国大会出場を決勝で川口HCに7ー8と1点差で逃して悔しを流したミサハン男子。それも第1セットで4ー1、第2セットで6ー4とリードしながらの逆転負けだった。
そんな無念を晴らそうと男女優勝を目標に臨んだ7月終わりの関東大会も準決勝で全国2位の小金井HC(東京)に9ー14と突き放されて3位に甘んじた。
くやしさを山形で晴らせ!
新チームになって全勝街道を走った女子に負けじとがんばってきた男子だが、4月の八潮フレスポカップ以外、なかなか優勝に手が届かず、今度こそはの思いが強かった。
折しも沖縄の全国中学校大会と日程が重なったが、三郷北中のコーチを務める半村監督はこの山形行きを選び、菊池コーチとともにベンチに入った。
「絶対優勝するので山形まで来てください」と申し出た選手、保護者たちといっしょに「男子のうれし涙を見てみたかった」からだ。
心を1つに決勝進出!
そして迎えた今大会。15チーム参加の男子の部に出場し、19日の予選トーナメントで尾花沢(山形)に19ー7、市川HC(千葉)にも9ー4と危なげない試合運びで決勝トーナメントに進出。
翌20日の準決勝は群馬HC(群馬)と対戦し、第1セットで4ー1と先行しながら、第2セットで6ー5と肉薄され、最終セットで11ー8と逃げ切って決勝戦に臨んだ。
決勝の相手は東京代表の江東HC。横浜HC(神奈川)に13ー12と競り勝った勢いと粘りが警戒された。
試合が始まると第1セットを5ー3と先行したが、第2セットは江東の食い下がりの前に主導権を握るまでには至らなかった。
特にエースでゲームメーカーの塩畑に厚く、激しいマークが集まり、なかなか思いどおりの展開に持ち込めなかった。
そして8分過ぎ、ミドルシュートを放ったその塩畑が、相手ディフェンスに押された拍子に頭を床に打ちつけるアクシデントに見舞われた。
心配した菊池コーチが駆け寄ると「大丈夫です!」と応えた塩畑は泣きながらディフェンスに戻った。
そんな姿にチームメイトが勇気づき、スタンドの応援団も声を限りに熱い声援を送った。
男子はもちろん、女子も多くの親子がかけつけた。その中には全国中の沖縄から最終便で三郷に戻り、翌朝山形入りした青野さん親子の姿もあった。
「栄光の架け橋」の合唱も
そして9ー6と3点リードで第2セットを終えたブレイクタイムで、女子選手たちが声を合わせて歌う「栄光の架け橋」が館内に響きわたった。
あと10分! ムードは最高に燃え上がった。
みんなが心を合わせたプレーでゴールに結びつけると、GK三上がスケール豊かなキーピングで失点を阻んでラストスパートをかけた。
最終セットは4ー1。13ー7で初優勝が決まった瞬間のコート上で、控え選手も含めた6年生全員が立っていたのがなによりうれしいことだった。
タイプアップのブザーが鳴るとコートとベンチばかりか、スタンドの応援団も歓喜の涙に包まれた。
うれし涙をたくさん流そう!
「オフェンスはまだまだミスが多かったけど、ディフェンスは言われたことがしっかりできていた」と選手たちのがんばりを笑顔でほめた半村監督。
菊池コーチも「有言実行で優勝してくれてとってもうれしい。くやし涙よりうれし涙の方が何倍もいい。これからもたくさんうれし涙を流そうね」と声を詰まらせながら熱い思いを言葉にした。
これから12月末の読売旗小学生大会、そして年を明けてた福井の永平寺カップ、愛知のフェニックスカップなどの大会を目標にさらにチーム力を磨いていくミサハン男子。
未完成な部分も多いが、それだけ伸び代もたくさんあるチームだ。もっともっと魅力的な好チームに成長してほしい。
チェリーカップの大会結果は↓↓