飛行機事故


私の父の事故を思い出す


対潜哨戒機と対潜哨戒へりの接触事故


昭和42年1月17日

搭乗者全員計11名の死者が出る戦後最大級の事故であった


今回の事故は固定翼同士模様

海上保安庁と民間JAL

海上保安庁6名のうち5名死者

第一報でパイロットは生き残った時いた時


パイロットの方本人、ご家族の方のことを思うとやるせない気持ちになった



私の父はパイロットとして搭乗したのではなく搭乗員として搭乗していたので

まだよかったが

パイロットの方はかなりひどく新聞に書かれていた


当初は管制塔の問題?と言われていたが

時間が経つにつれパイロットの問題では?

という論調であった


私の家を除き10名の方が国を相手取って裁判を起こし

10年後に敗訴


私の家は他にも現役自衛官も多かったので裁判には参加しなかったようだ



事故が起こるときは人的ミスもあるが天候などの要素もある


実際に何が起こったのかはわからない

一人を責めるわけにはいかない。



ただお悔やみ申し上げるのみである。