古代インドで起きた核戦争 パート2 | 大切な場所

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パート 1 からの続きです

 

 

 

 

 

 

ラジャスタン州の放射性降灰

 

 

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伝説の王朝ラーマ帝国は、核戦争で荒廃したと言われており、その証拠も見つかっている。

 

 

 

 

 

 

 

インダス渓谷は現在、タール砂漠になっている。その入り口である街ジョードプルの西には、放射性灰が検出されている。ここだけでラジャスタン州の放射性灰全体のうち3平方マイル分を占めている。科学者たちの調査が入ったのは、過去に住宅開発が行なわれていた場所だった。そこでは以前から、住人たちに先天性異常やガンの発生率が突出して高いことがわかっていた。インド政府は現在、この地域を封鎖している。この事から察するに、8000年から1万2000年前に原爆の爆発によって、ほとんどの建物と50万人を超える住人たちが犠牲になったと思われる。爆発の規模から察するに、使用された核爆弾は1945年に日本に投下されたものと同程度の大きさだったと推定される。

 

 

 

 

 

ムンバイの大クレーター

 

ムンバイ近郊には、巨大なクレーターがある。ムンバイの北東400キロに位置する直径2,154メートルにのぼる、ほぼ円形の「ロナー・クレーター」は、5万年前にできたものだが、これも古代に起きた核戦争と関連している可能性がある。というのも、その周辺では、隕石落下の痕跡が見つかっていないのである。玄武岩だけでできたクレーターとしては、世界で唯一なのだ。しかし、何らかの「衝突」で大穴ができたのは間違いない。最低でも60万気圧を超える物理的衝撃が必要な大きさだ。また、急激な熱線の放射の痕跡も、玄武岩がガラス化している事から確認できる。

 

 

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古代核戦争説への歴史学的見解

 

興味深いことに、マンハッタン計画の主任科学者J・ロバート・オッペンハイマー博士は、古代サンスクリット文学に精通していたことで知られている。最初の原子爆弾実験の後のインタビューで、彼は『バガヴァッド・ギーター』を引用して、次のように述べた。「我は死神なり、世界の破壊者なり」

 

アラモゴード核実験から7年後、ロチェスター大学でのインタビューで、あの核実験が史上初の原子爆弾の爆発であったかと問われ他時、彼はこう答えた。「インド、アイルランド、スコットランド、フランス、トルコなどでは石壁や煉瓦が溶けてくっついている遺跡が見られる。古代都市でガラス化した壁を見たら、原爆の仕業と考えていい」

 

歴史家のキサリ・モハン・ガングリ氏によれば、古代インド聖典には、広島や長崎の原爆と同じような爆発の記述がたくさんあるとのこと。他にも対空決戦兵器などの最終兵器の記述まである。マハーバーラタ』の一節、ドローナの書には、古代核戦争が描かれているという。

 

 

 

 

 

 

 

 

「最終兵器による爆発が、その場にいた全軍を壊滅させた。馬も象も、武器を持った戦士たちの群れも、まるで乾いた木の葉のように吹き飛ばされた。きのこ雲の形を思わせる、巨大な傘のような煙が垂直に、連続して立ち上がる。食べ物は汚染され、人々の髪の毛は抜け落ちていく」

現代人よりもはるかに昔から核技術が存在していたことは、とても想像ができないことだが、実際に放射性灰が検出される土地があることと、核戦争を記す古代インド叙事詩からも、過去に核戦争はあったと考えてもいいだろう。

 

 

 

 

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