クリシュナ神が治めた伝説の聖都ドワールカーは実在した!! パート1 | 大切な場所

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コブラのブログ記事 ・ 

アルデバラン にありました、紹介記事が翻訳されたました。

クリシュナ神が治めた伝説の聖都ドワールカーは実在した!! より

転載致します

 

 

 

 

 

コブラ:
アルデバラン人はタミル・ナードゥ州にヴェーダ文明を築き、ラジャスタン州とグジャラート州にもヴェーダ文明を築きました。古代インドのラーマ帝国とドワルカ市を構築しました。そしてシュメール帝国とウルク市、現在はワルカとして知られています。

 

http://mahabharata-research.com/about%20the%20epic/the%20lost%20city%20of%20dwarka.html

 

 

 

 

 

 

 

 

ドワールカー発掘

 

 

 

クリシュナが築いたとされる伝説の聖都ドワールカーが発見された出来事は、マハーバーラタが史実かどうか検証する上で重要なきっかけとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

長らくマハーバーラタは神話と信じられており、ドワーラカーは幻の都市だと信じられていました。しかしいつかは、ヴェーダ時代から現代までインド文明は続いてきたことが立証されるかもしれません。この発見はまた、いわゆる「暗黒時代」である第二都市化についての事実を明らかにしてくれるでしょう。また、ダルマの復活、海上貿易の再開、サンスクリット語と修正インダス文字の使用などの、現在真相がまだ掴めていない一連の出来事について明らかになっていくかもしれません。ちなみに、大昔の海洋環境の変動についても海底調査によって明らかになりました。国立海洋研究所海洋考古学センターの考古学者、科学者、技術者たちの献身的かつ大胆な努力の賜物です。

 

 

 

 

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ドワールカーはグジャラート州ジャムナガール県の海岸沿いにある町です。ここの都市ドワーラカーは、『マハーバーラタ』にクリシュナの都市として登場する幻の聖都と同一視されています。同じ港町であるということで、エリュトゥラー海案内記などの「ペリプルス」に出てくる港町と同一視する学者もいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古代ドワールカーは海に沈んだと信じられていたため、ここは考古学的に重要な遺跡です。失われた都市に関する最初の明確な歴史的記録は西暦574年のパリタナの碑文に書かれたものです。そこには、かつてのドワールカーがサウラシュトラ西海岸の首都であったことが記されています。しかに、とりわけ目を引くのは「クリシュナが住んでいた」と書かれていることです。

 

ドワールカーの最初の考古学的発掘調査はH.D.サンカリアの指揮の下、1963年にプネーのデカン大学とグジャラート州政府考古学局によって行われました。その結果、何世紀も前の遺物が発見されました。

 

インド考古調査局(ASI)の海洋考古学ユニット(MAU)は、S.R.ラオ博士(インド考古学者の最高権威)の監督の下、1979年に第二次発掘調査を実施。 国立海洋研究所の海洋考古学ユニットの名誉科学者ラオ博士は、グジャラート州の港湾都市ロータルをはじめ、数多くのハラッパー遺跡を発掘。

 

 

 

 

 

 

 

その結果、3000年以上前に使われていた光沢の残る赤色陶器を発見。これらの発掘結果を機に、1981年にアラビア海に沈んだ伝説の都市の探索が始まりました。科学者と考古学者は20年間、この遺跡の調査を続けてきました。

 

海底探査のプロジェクトは1984年、当時の首相からの直接指令で始まりました。海中発掘は大変な仕事です。それに掘削ができるのは、11月から2月の干潮時だけ。さらに海面が荒れておらず、明るい日差しがあるという条件下のみです。潜水可能時間を最大限に活用するために、エコーサウンダーを使い水中の対象物の位置と深さを正確に把握しながら進んでいきます。サイドスキャンソナーなら、水中に放出したソナー信号の跳ね返りを見て海底の地形を可視化できます。途中に当たった水中遺物も、材質などから分析が可能です。その他、水中スクーターやスキューバなど、ありとあらゆる潜水用具を駆使し、1983年から1990年にかけての水没都市の存在証明に至ったのです。

 

 

 

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2007年1月、インド考古学調査庁(ASI)の水中考古学ウィング(UAW)が再びドワーラカーの発掘調査を開始しました。UAW主任考古学者によると、アラビア海で発見された古代の水中構造物については、まだ特定には至っていないとのこと。見つかったものといえば古代建造物などはなく、何かの破片くらいなものです。当時の生活ぶりを総合的に研究するには海中に加え陸上の発掘調査も同時に進める必要があります。

 

遺跡の年代は物質的証拠に基づいて行います。沖での発掘では、ASIの訓練を受けた水中考古学者と海軍のダイバーが沈没した構造物を捜索。発見物は調査され、年代が特定され、文書化されていきます。陸上調査では、主にドワーラカーディシュ寺院の庭で発掘が行われました。グワリオール、ラクナウ、プネー、ヴァドダラ、ヴァラナシ、ビーカーネールからボランティアの学生が参加し、ASIの考古学者を手伝いました。

 

 

 

 

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