2008年2月19日火曜 岩戸観音 ナンカナンカ 霊巌洞 宮本武蔵(旧1月13日、己丑)
なんかなんか、宮本武蔵が籠もった霊巌洞の奥に、静かにいらっしゃるとかいうが、暗くてその姿は見えないのは、岩戸の観音様だ。
鳥越の峠の茶屋から、金峰山には上らずに、岩戸の里公園に行く。
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21歳の女優である私がここを訪れたのは、岩戸観音参詣のためだ。檜垣の御は、自分が暮らしていたとかいう今の蓮台寺付近から、ここ岩戸観音に、毎日、白川の水を汲んでお供えしていたとかいう。私も、是非その観音様を拝んでみたかった。白川の水は汲まなかったが・・・。
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岩戸の里公園の駐車場に車を止めると、大きな像が見えた。宮本武蔵像だ。
宮本武蔵(天正12~正保2、1584~1645)は、ここ雲巌禅寺にある天然窟・霊巌洞に籠もって、寛永20年(1643)10月10日寅の刻に「五輪書」を書き始めたとかいう。
寛永20年は、第三代将軍大猷院・徳川家光の時代で、経済体制が整備されていった頃だ。前年の寛永19年頃、大飢饉が起こった。百姓には米の常食を禁じ、うどん・そばなどの売買を禁じた。寛永20年には、田畑永代売買を禁じ、また私鋳銭を禁じたとかいう。
その頃、二年後に死を迎えることとなる還暦近い宮本武蔵は、ここ金峰山麓の岩戸の里――この地は、故郷の今の岡山県宮本村の風景に似ていたからとかいう――に籠もったのである。
21歳の女優の私がこの岩戸の里を訪れたのは、宮本武蔵を追いかけてきたからではない。檜垣の御を慕ってのことだ。
駐車場から数分下って、雲巌禅寺に着いた。係りの人に、岩戸観音はどこかと訊いてみる。この寺の別名が岩戸観音で、特に観音様はないとのこと。なんだか要領を得ないが、とにかく拝観料を払って中に入る。
武蔵が籠もったとかいう霊巌洞に参る。
パンフレットを見ると、この霊巌洞の格子の奥に岩戸観音が祀られているとかいう。係りの人もそれならそうと説明してくれればよいものをなどと思いながら、手を合わせる。
格子の奥の観音様は、暗くて見えない。
黒岩展望台に上る。有明海の向こうに微かに雲仙らしきものが見えた。
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