ローマ帝国の公共事業としての殺し合い | なんでもいいや

ローマ帝国の公共事業としての殺し合い

 
ご存知のとおり、ローマ帝国で行なわれてい剣闘士競技は、コロッセオの建設も含め公共事業として行なわれていた。

 
そもそもの起源はカンパニア(南イタリア)で、ローマ初登場はある貴族の葬儀の余興として3組の試合が行なわれたのが最初である。

 
元々貴族の喪主が政務官選挙を有利に戦う為に売名行為として政治利用されローマ各地に広がっていき、最終的にローマ皇帝が主催者となり、民衆に剣闘士大会を提供するようになる。

 

剣闘士競技は、殺人訓練を受けた剣闘士が命を賭して力と技を尽くす死闘である。トラヤヌス帝は123日間に5000組もの試合を提供した。

いうまでもなく、この競技では一方が死亡すれば、勝敗は決した。
が次の墓碑銘は敗北即死亡とは限らないことを物語る。

 

『サムニウム闘士フラマンは30年間生き、34戦21勝9引分け、敗れるが助命されること4回、シリア生まれ』

 
フラマンは34戦中4戦で力つき、自ら、負けを認めた。このように剣闘士が途中でギブアップした場合、その運命をきめるのは観客である。観客は敗者の戦いぶりに満足し、死に値すると判定すれば、立てた親指を地面に向ける。逆に死なすには惜しいの意思表示には、親指を上へ。このジェスチャーに応じ、主催者がとどめを刺すか、助命するかを申し渡した。

 
フラマンは勇猛に戦った為、観客に支持され、生き延びたのである。

 

また異種格闘技戦のように、剣闘士にも様々なタイプがあった。魚の形をしたヘルメットと長方形の盾で重武装したムルミロ戦士。網で相手をからめて三叉の槍で戦う投げ網闘士(レティリアウス)。盾、ヘルメット、すね当てで武装し、剣で戦うサムニウム闘士(セクトル)。三日月刀と丸盾を用いるトラキア戦士(トラエクス)。さらに女闘士矮人闘士なども企画された。

 
なお、ローマ皇帝をオーナーとする首都の闘士訓練所を始め、帝国各地に私営の訓練所が開設されていた。地方都市をドサ周りする剣闘士一座もあった。


えー続くはず


終わり