内戦思想 と 外戦思想 | なんでもいいや

内戦思想 と 外戦思想

今日、仕事で見知らぬ街へ行ってきた。時間があったのでぶらぶらしていると古本屋の看板が目に入る。小生はamazonで注文し取り寄せる程強く読みたいと思わないが手に届く距離にある本なら読んで見ようという書物が何個かある。その一つの坂井三郎著『大空のサムライ』がその古本屋にあったので即購入。

 栗林中将の事を書こうと思い早2週間、前エントリーで書いた吉田松陰の武士道ともリンクしてる感じがする、個人的に乗れる流れになってきたので書いている。

    

話は飛んで、手元に平成12年発行前田日明編集長武道通信十一ノ巻というムック本がある。日明兄さんと坂井三郎さん【帝国海軍中尉、日本のエースパイロット、出撃200余回、空戦回数100余回、敵機64機撃墜】との対談から抜粋。

  

戦争と戦闘の違い

   

前田

 
 いまこの国は、国防、憲法九条、学者だけでなく若者も含めた国民の仲で盛んです。これも小林よしのりさんの『戦争論』が火蓋を切ったと思うんです。坂井さんは『戦争論』お読みになりましたか。

  

坂井

 
 テレビ番組に出た折、小林さんからサインした本をいただいた。マンガは私のような年寄りには読みにくくて、さーと読んだだけなんですけど、一番に感じた事は、あの戦争をまったく知らない、体験していない人が描いた、ということですね。
 私はよく討論会とか講演会に呼ばれますが、聞かれることは戦闘の場面だけなんです。でも戦闘は戦争の一部分であって、国と国が戦うとき戦闘だけで決することはないんです。今でも国際法規にあるように平和的な国際交渉が決裂して、どちらも譲らないという場合は戦争で決するという。
 戦争と戦闘は違うのであって、戦争はその国の政治、経済、工業技術、そして国民の戦闘意識の高さの総合戦です。一方、戦闘は軍人と軍人の闘いです。お互いの国が戦争を選択したのであって、私達軍人同士は戦闘部分を引き受けたのであります。決して戦争の責任者ではない。先の戦争で軍人が勝手に始めて負けて帰ってきたなどと言われたんですが、とんでもないことで一番の被害者は我々です。日本人は戦争に対する考え方がなっていないんです。もう少し勉強してもらいたいと思います。

  

内戦論と外戦論の混同

  

前田

 
「新しい歴史教科書をつくる回」の運動や会長の西尾幹二さんの「国民の歴史」などの書が話題になり、自虐史観を見直す機運が高まる中、大東亜戦争開戦は自存自衛の戦いで、やむを得ないものであり、その開戦時の責任者をいつまで責めていてもしょうがないという意見もかなり出てきています。
  
坂井

 
 そりゃよくないですね。私もよくこの問題は考えてみましたよ。戦争はたしかに自存自衛が犯されると判断したのが第一の理由ですから開戦の大義は正しいとしても日本人の戦争論には大きな間違いがあるんです。

  
 戦争と戦争の違いのほか、もう一つ戦争をする当事者が内戦論と外戦論を混同していたということです。内戦論とは何かというと、これは応仁の乱あたりから日本が乱れてきます。徳川幕府が出来上がるまで内乱です。内乱の中で出来上がった思想、特に指導者の思想というものです。武士道とは何かといいますとね、戦争をする以上は勝つのが目的です。その勝つための実践経験から出た生き様です。ところが内戦は徳川家康が勝とうと毛利元就が負けようと同じ財布の中でやりくりしているんで、どっちだっていいんです。ただそこに妙な思想が生まれてきて結局、戦争とは勝つことが目的ではなくて、家来が自分の主人のために命を捨てると忠臣になる。それが、内戦思想です。
   
 アングロサクソンは徹底的に外戦思想です。異民族との戦いの連続ですから勝つために何をするかだけを考える戦争の歴史がある。日本では美談とされている逸話で上杉謙信が甲斐の国には海がないから塩に困っているらしい、気の毒だということで武田信玄に塩を送ったと。戦う以上は勝つのが目的なのに戦う相手に塩を送る馬鹿がいますか。こういう内戦思想というのが武士道を妙な小義、自分たちだけにしか通用しないものにしてしまった。
 
前田 

  
 勝つか負けるかの前に忠臣として死ねばいいんですね。負けても勇ましく死ねばいいと・・・。
  
坂井

  
 そう死ねばいいんです。足利尊氏が西へ下って九州で勢力を挽回して上がって来た。さあ尊氏の怖さをしっているから後醍醐天皇をはじめ公家はもう真っ青になってね、大騒ぎ。そのときに選ばれた軍司令官が楠木正成。正成は何としても尊氏を京都の山岳地帯へ引き付けたところで一挙にやらなければ勝ち目はない、軍司令官は俺だ、公家ども黙れと言えば良いものを、負け戦とわかって討ち死にしている。そんなのは、内戦思想で、いわゆる自分の上司のために死ねばいいわけです。軍歌歌謡の作詞家が戦場で戦う息子の心を詠ったのに「夢に出てきた父上に、死んで帰れと励まされ・・・」。どこの世の中に死んで帰れと励ます親がいるというのか。馬鹿もんが!
  
前田

  
 先の大戦も内戦思想が惨敗の原因だったと・・・

  

坂井

  
 我が連合艦隊をもって半年や一年は何とかなるけれども後の補給、そして生産能力が段違いではとても勝てませんからやめましょうと言ったならば、山本五十六は名将だったと思いますね。
 ミッドウェー海戦にいたっては惨敗を喫す。アメリカより圧倒的優勢の戦力を使いながら主要の精鋭空母艦4隻を失い、飛行機も320機、そして戦士3000余名。それをやらせたのは誰かというとね、あそこ(壁に飾られた写真を差す)私と二人並んでいるドーリット少佐(後将軍に)。ドーリットルは陸軍の双発機を海軍の母艦に積んで、日本本土空襲という奇想天外の作戦を考えた。日本の司令部には海軍の艦に陸軍の爆撃機を積むなんて発想が爪の垢ほどもない。同じ国の軍隊でありながら、反目したふたつの閥でしたから。で、それを知った山本五十六の頭のなかに何があったか・・・。
  
前田

  
 ドーリットル少佐の日本本土爆撃作戦を許した山本長官の頭は狂ってしまった・・・。
 
坂井

  
 閣下のおわしますます帝都を夷狄に汚されると。ただそれだけでカーッとなって戦略も何もありはしない。
 軍はお偉い方々は我々兵隊上がりと違って海兵、陸士を出た頭の良い人達でしたが日露戦争以来、大きな戦争を体験していないものだから、いつのまにかだらけてしまって軍隊に身をおくことによって立身出世をすることを考えた。

  

中略

  

前田

  
 外戦思想、内戦思想という表現はわかりやすいです。当時の親任官たちは天皇に命を捧げればいいという、まさに内戦思想であったわけですね。でも戦闘員もそうですね。自分らのような昭和三十四年生まれの人間が当時の戦記を読むと、どんどん死のうとするんですよ。零戦に一発穴が開いてガソリンが漏れたらもう帰れない、自爆だ!って。何か自滅する為に戦っているような気がしますが。
 
坂井

  
 それが内戦思想なんですよ。雷撃機だって、いまだったら何億円するでしょうね。戦艦一隻作った年は大不況になっているんですよ。そのくらい日本は貧乏だったんですよ。わらじを履きぞうりを履いてね、モンペを着て、食うか食わずで軍事費に回した。アメリカなんか、いざとなったら戦闘機、機銃もモナカの皮じゃないけども、いくらでも作る国力を持っている。戦争は国と国の総力戦だということがわかっていなかった。

 

  

  

などなど坂井さんは歯に衣を着せぬ発言や提言をこの対談で行なっている。この対談は武道通信のWEBで購入できるようなので興味のある人はどうぞ。

 
山本五十六は三国同盟に反対し、米国と戦争すれば負けるとわかっていた、常に最前線で戦ったと今日でも評価が高い将軍であるけれど、当時の尉官からの山本五十六評は厳しい物がある。

 
  
つづく