ラリオスとホプキンスとマンバのアレ | なんでもいいや

ラリオスとホプキンスとマンバのアレ

○Oscar Larios vs. Jorge Linares
vacant WBC featherweight title
2007-07-21
ftp://ftp.profibox.hu/pub/profibox/Wowa/OscarLarios-vs-JorgeLinares.nsv

 

○Bernard Hopkins vs Winky Wright
2007-07-21
ftp://ftp.profibox.hu/pub/profibox/Wowa/BernardHopkins-vs-WinkyWright.nsv

 
○ダン・ヘンダ-ソンvsギルバート・アイブル
 

 
有名な話ですが、明治時代 LOVEという英単語をどう日本語に訳すのか苦労したとのこと
夏目漱石氏は
Sympathy is akin to love.を

 
「かわいそうということは惚れたということよ」と訳し

 
二葉亭四迷氏は
I love you. を

 
「あなたのためなら死ねるわ」と訳した。

 
ちなみに戦国時代の宣教師さんはLOVEを「お大事に」と訳していたそうです。

 

キリスト教の愛は、隣人愛によって成立する人類という大きな家族像を示唆している。その隣人愛は、報酬を求めないどころか、自己を犠牲にすることによって完成することをイエスは十字架上の死によって示した。

その意味で二葉亭四迷氏の訳は秀逸であると言える訳ですね。

 
そんな前置きに+過去の紙プロインタビュー

 
~略~
前田日明
「オーケイ。やっぱね、どっかで自分ってもんがないのがプライドだよ。俺は俺。私は私っていうのは、真のプライドじゃないよ。」
山口日昇
「じゃ、前田さんがいつも言ってるように、他人の期待を一身に背負って、その期待に応えるために何かをするっていう時に真のプライドが芽生えるということですか」
前田日明
「そうそうそう。それがホントのプライドだよ。自分というものがあったら、プライドじゃないんだよ。何かこう、大きなものを守るってものがあって、その中にホントの自分っていうものがあってさ。現実に生きてる自分にはプライドを乗せる器なんかないんだよ。自分を形づくってる大きなものがあって、その中に自分のプライドを入れるものがあるんだよ。でしょ。」
~略~

 

「なんだかんだ言って、君たちは優勝できないと思っているだろ? そうはいかない! 優勝するのはオレだ!」とまくし立てると、手にしていたマイクを壇上に投げ捨てたのだ。静まりかえる会見場。さらにマンバは「絶対に所を病院送りにしてやる! 絶対に優勝してやる!!」と言い放つと、颯爽と会見場を後にした。
http://gbring.com/sokuho/news/2007_07/0714_heros_03.htm

 

何気なくHEROS試合直前インタビューを読んでいた小生。いつものように面白みのないコメントをしているなと思っているとブラック・マンバだけが違う訳ですね。
自己犠牲の上に建つ、家族愛ってゆーんですかね。週4日12時間の肉体労働ですか。才能がありながら家族を養う為に自分の時間をギリギリまで削り納得の行く練習ができないB級ランカーのボクサーを思い出して、ちょっと感動しましたね。
 ほとんどの家族持ちの人はそうゆう気持ちで働いてるんでしょうがマンバのあの思い通りにいかないピリピリ感イラツキ加減は人を惹きつけるなかなかのもんです。そんなこと人前でゆうなよという確固悪さが個性となって現出したようなアジのあるコメント、これは今回もやばいかなと頭をよぎる訳ですね。

しかし、小生はやばいと思いつつ所英男が勝であろうと思っていたんですね。
結果悪い予感が当りマンバが勝ってしまった。
が、本興行で敗北してしまった宮田さんや勝村さんアッカ選手にも家族がいた訳でこのピリピリ感と自己犠牲の精神は勝敗をそれほど左右するものではないなと思い直す。

 

やっぱり単純に体格差で所さんが負けたんだということで
以前アレした標準身長から標準体重のアレをマンバと所のアレでアレしますと

 

マンバの身長が183cm
1.83×1.83×22=73.68kg

所英男の身長が170cm
1.7×1.7×22=63.58kg

 

ちなみに170cmの選手にはエルメス・フランカがいる。所英男氏が70kgのカテゴリーにあげて3年、その間フィジカルトレーニングに費やす時間は十分にあった訳で、また166cmしかないペケ-ニョが一年であの体を造ってきた。もう体格差を言い分けにできないなと。
とりあえず、マンバには完敗じゃ。

 

ようするに、キッドがいるうちに65kg級走らせておくれということじゃ。これのがしたら65なんて話これから数年間はないだろう。という話。