三船久蔵十段のアレ
えー、今日は確かK-1MAX決勝トーナメントがある日ですね。そして所漫遊記に前田日明登場とこれから楽しみな訳ですが、それとはまったく関係のないアレを。メインは温故知新ですよ温故知新。ということで1時間30分ぐらいあるらしい。
三船久蔵(1883-1965)
身長160cm、体重40㎏と柔道家にしては小柄でしたが、重量別制度のなかった時代、小よく大を制し得たのは、合理的な考えに基づき、あたかも物理学の実験でも重ねるように、「技」を徹底的に研究したからだと考えられています。
岩手県久慈の小学校から仙台二中に進んだ久蔵は柔道部に入りますが、その上達ぶりは目ざましく、対等に組み合えるものがいなくなったため、旧制二高の柔道部の稽古に参加するようになり、師範で起倒流(きとうりゅう)柔術家の大和田義一の教えを受けます。その後、仙台二中卒業の折、大和田から盛岡の同流柔術家・奥田松五郎を紹介され、稽古試合で対戦する機会が訪れました。その対戦で、払い腰、巴投げなどすべて異なる技で、完膚なきまで投げ飛ばされます。いままで体験したことのない鋭い切れ味のある<技>を身をもって知ったのです。奥田も、久蔵の天性のカンと才を見抜き、精進すれば大成すると励まします。得難い体験をもった久蔵。体格にもハンデがあり、このとき以来、相手を倒すのは<技>以外にないと、さらに技の世界を窮めようと決意したのです。
当時、日本の柔道界は、嘉納治五郎の創設した講道館柔道が盛名を博しており、久蔵も入門を希望していました。やがて、上京し講道館に入門、1904年初段となり、以後毎年昇段を続けます。1910年、東京帝国大学の柔道師範となったのをはじめ、早大、明大、日大などでも師範として教えることになります。得意とした技は、大車・隅落し・球車などですが、太陽・地球は丸く、人間も丸ければバランスがとれる、という独特のバランス重視の運動力学を考案し、その原理に基づき、究極の<技>ともいえる空気投げを編み出します。1930年、初の全日本柔道選手権大会の特別試合で、神宮外苑2万人の観衆を前にこの技を披露したのです。久蔵47歳でした。1923年、すでに講道館指南役に就いていましたが、1931年八段、1945年最高位の十段に昇ります。
<技>により、小躯よく巨漢を倒し、<相手が大きいほど技がかかりやすい>ことを実践してきた三船久蔵は、国際柔道の流れである重量別制には、最後まで賛成できなかったようです。
(♪http://myn.north-tohoku.gr.jp/kodawari/db01-m002-t018.php3 とかのサイトから転載)
〇Anderson Silva vs Chris Leben
〇Mark Hominick vs Jorge Gurgel
おまけ