なんか、なんか、スリランカ3

なんか、なんか、スリランカ3

元スリランカ青年海外協力隊OBのつぶやき。

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シンハラ語学習
සිංහල භාෂාව හැදෑරීම (準備中)

(シンハラ語関連)
No.217ランカ 日刊新聞~その①シンハラ語 සිංහල
No.239ランカ シンハラ語入門~その①数字
No.241ランカ シンハラ語入門~その②あいさつ
(シンハラ語タイピング)
No.011ランカ シンハラ語のパソコン入力のススメ①
No.114ランカ シンハラ語のパソコン入力のススメ②

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こんにちは、アオタツ・ヤスシ     
 …それはさておき、日本も暑くなってきました。
   でも、ちょうどいい気温ですがすがしい日々を過ごしております(笑)

さてシンハラ語を勉強するうえで困るのは、教科書と辞書。

効率的に学ぶためには必要だけど、少数言語のためなかなか手に入らない。

スリランカでは、英語シンハラ語のテキストも買えるけど、わかりにくい。

今のところ自分では、駒ヶ根の訓練所でシンハラ語を勉強するのが、

一番体系的にシンハラ語を学べるのではないかと思う。

そうなると、青年海外協力隊に応募・合格する必要があります(笑)

さて、日本で手に入るシンハラ語の教科書は、主に2冊。

高いですけど、独学で勉強されるなら購入することをお勧めします。
シンハラ語の入門/大学書林
¥5,775
Amazon.co.jp
シンハラ語の話し方 増補改訂/かしゃぐら通信
¥2,415
Amazon.co.jp

一方辞書でお勧めなのは、このシンハラ語英語の辞書。

なんか、なんか、スリランカ2

コンパクトでそれなりに色々な単語が載ってて、便利です。

でも、日本では手に入らないので現地で購入する必要はありますが・・・。

しかも、安い。350円くらいかな。


最後に、旅行で行くのであれば指さしで十分だと思います。

しかし、シンハラ語の発音は難しく、あまり通じないので

会話は楽しめないかもしれません(笑)
旅の指さし会話帳56.スリランカ (ここ以外のどこかへ!)/情報センター出版局
¥1,890
Amazon.co.jp
まあ、時間があるときにもっと辞書などの事について情報をアップしようと思います。

ではでは。
こんにちは、アオタツ・ヤスシ
    …実家から送られてくる食材が減らない・・・。賞味期限が~!

さて、今日も美味しい山口の幸。

「瓦そば」を御紹介。

山口県民ならだれでも知っている瓦そば。

西南戦争ときに瓦の上でそばを焼いたことをヒントにその料理法を作り上げた。
らしい・・・。

考案者は、高瀬慎一さん(wikipedia より)


なんか、なんか、スリランカ2

これは、滝部温泉で食べたもの。

美味しかったです。

夏に角島に行く際は、お食べになってください。

ではでは。




こんにちは、アオタツ・ヤスシ
 …最近ブログをサボってました。ごめんなさい。
  これからも、気の向くままに更新します。


さて宇部の有名物産を紹介してきたが、ここで山口県の隠れた名産を紹介しよう。


なんか、なんか、スリランカ2


使い掛けで申し訳ない。油谷町(現:長門町)の地元醤油蔵が製造する
「だし自慢」


一人暮らしをするようになってから、この醤油しか使ったことがない。
市販の醤油なんて目じゃないぜってくらいうまい。
だし自慢となのるほどだから、うどんのだし、おでんのだし、ソーメンのだしなどなど
もろもろの用途に合わせて使っている。もちろん普通の

この醤油もかなりのものだが、
ここのさしみしょうゆ(濃口醤油)は、まだに絶品。

もちろん、お値段も市販のものより高めだがそんなことは気にしない。
上手いものが、食えることほどの幸せはない。

詳しくは、ホームページがあるので参照にされたし。
ただし商品がネットではまだまだ買えないようなので、直接電話するしかないようだ。

今度地元に帰った時にでも、購入するか。

ではでは。

大津醤油株式会社

http://www.marusan-syoyu.com/

こんにちは、アオタツ・ヤスシ…やっぱり寒い。

小野茶の缶500ml
なんか、なんか、スリランカ2

以前飲んだ時は綾鷹のほうが美味しかったイメージがあったが、今回飲んだら意外にイケタ。
味は、上手く表現できないが大手のペットボトルのお茶に引けをとらない。
次回飲んだ時は、味を上手く説明します。

ではでは。

こんにちは、アオタツ・ヤスシです。

 今日は、マジブロです。 「大阪で顧問から体罰を受けた後に自殺した問題」に関して少し述べたいと思います。 まず、息子を失くされたご両親にお悔やみ申し上げます。

 私は大学時代アメフトをしていました。 九州の大学なので、なかなか指導者もおらず基本的に学生チームとして、部活動をやってきました。 僕の頃は大学の校風が自由なところだったので、チームも後輩先輩の垣根はあまりなく自由に意見や練習ができる環境でした。それは、あまり技術的にも体力的にも難しい要求を下の学年にしてしまうと部員が少なくなってしまう事があったのかもしれません。しかし、よく耳にするような大学の部活やサークルは飲み会が多く、後輩に無理やりお酒を飲ませるなどの行為は一切ありませんでした。というか、飲み会も春のシーズン最後の試合の日のよるに新入生歓迎をするのとシーズン後の4年生への送別会しかなかったからです。試合の後に、基本的にみんな疲れており、医学的にもアメフトのような激しい運動後に酒を飲むことは一歩間違えたら死の危険性すらあるので、みんなたしなむ程度にしか飲まなかったですし、普段はアメフトとはお金もかかるので酒を飲む金もないし、毎日練習かウエイトトレーニングだったので酒を飲みに行く余裕もない。普段飲まないから、いざというときはみんな酒が飲めない。まあ、酒好きなやつらは勝手に飲んでいたと思いますが。

 話を戻しますと、学生チームなので後輩を指導する事が必ずめぐってきます。 なかなか上達しないやつ、はたから見ればふまじめな奴、言うことを聞かない・聞いてないやつなど結構指導も大変です。しかしながら、それは個人の能力や才能なども関係、またコミュニケーション不足や誤解などもあり、一概にその選手のせいでないのです。(まあ、やる気がなければもうどうしようもないですが。) なかなか上達しないのは、その指導者の指導方針が間違っているのであり、選手の欠点を見つけそれをなくすこと、技術をより上達させることが指導者の役割です。才能ある選手や能力のある選手は、 指導者がほっておいても勝手に伸びます。その成長を大きくするために、指導者が培ってきた経験や知識を生かしてその選手にアプローチするのです。それをすることで選手も指導者も成長するのだと思います。

 そのアプローチとして基本的に選手をしかり殴るのは、一番悪いことだと自分は思っています。 叱って選手を やる気にさせようと思っているかもしれませんが、怒ると逆に恐縮してしまう選手もいます。 それは、それぞれ選手を見極めて指導しなければなりません。 もちろんチームワークを乱す行為やチーム内の規則を破るのは、これは指導やしかるべきことは必要です。しかし、技術や練習、練習方法に対してしかったりするのは、基本的には間違いだと思います。 なぜなら、若い選手には経験がないからです。経験したことをすぐできるようにしろというのは、はっきり言ってかなり要求が高いです。経験したことがない、また上手くできないことは選手が切磋琢磨し自分で考えのびのびと楽しくプレーする中で何か見つけるものだと思っております。それが人間的な成長につながり、将来の役に立つのだと思います。学生時代にスポーツをすることは、その人間としての成長をすることが第1にあると思います。もちろん、アメフトのように勝ち負けがあるのならば勝ちにこだわるのは当然ですし、負けたときに「負けたけど、でも人間的に成長したし、この経験はしたことはよかったじゃない?」みたいな事を言うのは完全な言いわけです。勝てば自信になり、負ければ後悔です。 なので、コーチとして選手に部活動を通じて人として自信を持ってもらうことがなによりの役割だと、まだまだ不勉強な自分ですがそう思います。

 叱ることは、簡単です。しかし、誉めることは難しいのです。 この難しい事を指導者として取り組まなければならない。ただ誉めるのではなく、選手のいいところを見つけそれをのばす、そのことが自信になり欠点をカバーできるようにしたり、欠点をなくすことにつながると思う。 人には、一人一人個性がある。その個性と、一つ一つ向き合わなければならない。それは、大変なことです。指導者として、みんな同じように指導できれば簡単ですが、そういうわけにもいかない。 自分は、上級生の時下級生に叱ってばかりいた。下級生のいいところを誉めることが出来なかった。そのことは、今でも後悔していることである。この誉めると言うことは、「コーチング」の技術の一つでもある。よりよい指導者になるには、このコーチングを学び続けなければならない。指導者は理不尽なことを言わず、選手に理解できる言葉を投げかけなければならない。それは、すぐに理解できないことでもいいし、すぐ理解できる事でもいい。経験を積んでからこそわかることもある。

 この体罰をしていた教師が、どのような指導方法をしていたかわからないけども、外から見て人一人を自分の指導がきっかけとなったのならば、責任は重大である。

 でもどんなにつらくても親より先に死んでしまうことは、親不幸であり、家族、両親のことを考え今後このような事が起こらないことを祈るばかりです。

 橋下市長が、予算の執行権などを行使をちらつかせています。 テレビや新聞などでは、混乱する、生徒や入試希望者は関係ないという論調で記事が書かれています。 まさに、その通りです。ですが人一人の命を失ったことが、僕たちは立ち止まらずにそのまま時間とともに流されていくのを待つでは、あまりに無常というしかないのではないでしょうか。現代社会は、立ち止まることも許さないような社会ですが、市長の責任ある立場としてどうにかしたいという思いによる行動だと思います。これが、社会にとってベストな手段かはわかりませんが、少なくともみんなが立ち止まるきっかけを与えてくれたものなのではないかと思います。
つたない文章ではありますが、考えるきっかけになればと思います。

ブドゥサラナイ、デビピヒタイ。