登米から能登へ | なにわのブレッソンのブログ

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基本的にはFacebookに投稿していますが、やっていない大阪の知り合いや友人に読んでもらえるよう、アメブロにリンクを転載しています。主に東北の震災や移住後の生活を綴っていますので、関心ある方はお読みください。

先月のさとう宗幸さん能登半島地震緊急支援ライブから2週間。仕事がようやく落ち着いたので、40日分溜まった代休から二日間休みをもらって能登へ向かいました。ボランティア活動を含め、自分の目で見たことを五感で感じて伝えることが俺のミッション。一介のカメラマンにできることは微力ですが、全力でやってきました。

 

 

仕事を終えて18時半に職場を出発。ボランティアセンターのある七尾市まで648㎞。予定を少しオーバーし8時間かかって到着。

 

 

3日間で氷見市、七尾市、能登町、輪島市、珠洲市を回りました。

 

 

朝市で有名な輪島が一番被害大きかったですね。

 

 

珠洲まで行こうとしましたが、途中何度も通行止めに阻まれ最北端の地まではたどり着けず。

 

 

七尾市に拠点を置く一般社団法人・熊本支援チームで、孫のような若者たちに交じって活動。

活動の拠点は築100年を超える茅葺屋根の農家民泊じろざみさん。家主の森さん(手前左から二人目)は熊本地震でも被災し、その後、故郷に戻り祖父母の家を3年かけて茅葺屋根を葺き替えリフォーム。昨年5月にオープンさせたばかりだったそうです。

 

 

俺のミッションはこの古民家再生の大工仕事のお手伝い。大工経験者の若いリーダーのサポートに入りました。

 

 

地震で崩れた浴室の柱を戻し、剥がれ落ちた土壁の片づけなどがんばりました。

 

 

歪んだ柱を支えていた仮設の梁の角材が落ちて来て頭を直撃。かなりの衝撃でしたが、ヘルメットをかぶっていたお陰でケガなく無事でした。

 

 

ボランティアセンターでは所属とニックネームを登録、若い子たちから「おやじーさん」と呼んでもらいました。

年を聞かれて「もうすぐ70歳」と答えたらびっくりされました。50代に見えると言われて照れましたが、若い子たちからすれば、そんなトシのおじいさんがボランティアに来てるということが不思議なんでしょうね。

 

 

トイレの天窓の竹で編んだ土壁を丁寧に剝がすのがミッション。土は捨てずに再利用し、また土壁を練り直して貼り換えるそうです。

 

 

天窓の上の土壁を剥がしたトイレの中から撮影。このままでは通路から覗かれ、音も漏れてしまいます。

 

 

ということで、縦に角材を嵌め込み、床材のヒノキ板を取り付けました。仕上げの塗装は次のボランティアさんに託します。

 

 

次の日のミッションは浴室ボイラーの煙突から外れて落下したままの眼鏡石(画面下に置かれている丸い穴の開いた石材です)を元通りの位置に取り付けること。

 

 

外れて落ちた桟を取り付けて、ずれた土壁を押し上げ、煙突を通した石材を復旧。3か月間放置されていたのを、ようやく戻すことができたと喜んでもらえました。津山ベースのDIYで鍛えた工夫が活かされてよかったです。

 

 

夜はボランティア仲間に風呂に連れて行ってもらいました。和倉温泉の総湯館。泥だらけになった頭を洗えてスッキリ。地震で駐車場が使えず、玄関前も地割れしてそのままでしたが、お風呂が再開されていてよかったです。

 

 

能登では4日間ずっと寝袋で車中泊でした。助手席の段差も慣れれば大丈夫。疲れてぐっすり爆睡です。

 

 

早く目が覚めたのでお隣の氷見市へ。忍者ハットリくんがいたるところに。

 

 

能登湾に沈む夕陽

 

 

被災地は3カ月経っても家屋の解体まで手が回らず、漆塗りや酒屋さんなどの生業の再建にはまだまだ時間がかかりそうでした。

 

 

この地方は能登瓦の産地で、立派な屋根が逆に災い、重さに耐えきれず崩れ落ちた建物が多かったです。

 

 

家の下敷きになった自家用車も多く見ました。

 

 

高台にあるお寺も本堂が崩壊。辺り一面瓦礫の山でした。

 

 

復旧工事に必要な重機も下敷きになり動かせません。

 

 

珠洲市大谷町、海が見える素敵な町も被害が大きかったです。

 

 

これだけ大きな家屋がすべて潰れ、一階部分はぺしゃんこです。

 

 

川沿いに建っていた家も軒並み崩れて水没でした。

 

 

輪島の朝市周辺が火災で焼失。

 

 

戦後の焼け野原はこんな感じだったのでは。建物の崩壊と火災は阪神淡路大震災と似ていますが、比べるものではありません。それぞれの町の事情で被害は異なります。

 

 

焼けただれた車の多さにも胸が痛みました。ドアに貼られた真新しい張り紙には

 

 

愛猫を探す飼い主の情報提供の呼びかけが書かれていました。

 

 

マンホールが飛び出し、電柱が傾き、平衡感覚が取れません。

 

 

建物の解体も遅れていますが、道路やインフラの復旧にもまだまだ時間がかかります。

 

 

自動車専用道路・のと里山海道は北行きのみで、輪島からの帰り道はかなりの迂回路となります。ほとんどが片側1車線で、真っ直ぐな区間は僅かでした。

 

 

途中、段差や穴ぼこだらけですが、よくぞここまで舗装できたなと道路関係者には感謝です。

 

 

半島各所、至る所で通行止め。う回路の指示もなく、ナビやグーグルマップがまったく機能しません。地元の方しか通れないと思います。もし、それでも行かれるのなら、ネットで通行可能なマップを探してダウンロード、印刷しアナログ的に確認しながら行くしかないでしょうね。相当な覚悟と下調べ・準備が必要です。

 

 

珠洲市の一番大きな通行止め。249号線で山全体が崩れて道を塞いでいます。

 

 

輪島市で朝早くから開いていた炊き出しのお店。

 

 

お店の方とゆっくりお話しさせていただき、貴重な現地情報をゲット。おにぎり、みそ汁も美味しかったです。

 

 

こんなお店を発見。営業中ということで地元の方には有難いでしょうね。

 

 

ずらりと並んだキャンピングカー

 

 

丸森町でも見ましたが、大きな災害時にはこんな住まい支援も助かりますよね。

 

 

仮設住宅建設中

 

 

完成が待たれますが、全被災者が入居できるのはまだ先になりますね。

 

 

トラック野郎たちの炊き出し支援を見ました。いかつい強面の男たちの優しい笑顔が良かったです。

 

 

被災地にも春が来て桜が咲き始めています。複雑な気持ちですが、元気が出る人がいるのなら・・・

 

 

道路を渡る猫たちの目に町はどう映っているのでしょうか・・・

 

 

往復で走った総走行距離は2000㎞近く

富山チンドンコンクールを見てから7日(日)午後3時半に出発。7時間かかって無事に帰宅しました。富山を出る時に満タンにしたガソリンがギリギリ持ちました。着替えを洗濯機に入れ、12時過ぎに就寝。翌日午後から出勤。心地よい疲れです。

 

 

自宅に戻ると外壁が塗装完了。町内の川村塗装さん、ありがとうございました。

 

 

屋根は東京のボランティア仲間の西さん、比嘉さんが錆止めを塗ってくれていました。家主がいないのにご苦労様です。

 

 

仕上げは今週末に地元の仲間に手伝ってもらい塗り上げます。持つべきは友だち。俺が能登へ行っている間に、川谷の後方支援。これが恩送りですね。

できることを できるひとが できるときに 感謝です。

 

富山チンドンコンクールやほかのボランティア写真、被災地の写真レポートはアメブロ『なにわのブレっソンのブログ』に転載したFacebook・津山ベースグループの投稿でご覧ください。

 

最後まで丁寧に読んでくださりありがとうございました。

川谷清一

 

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