つくしの話題を挟みましたが、
まいまい東京の目白台街歩きの続きです。
 
東京カテドラル聖マリア大聖堂を後にして
目白通りから少し入ったところに
講談社野間記念館
という建物が有りました。
講談社創業90周年事業の一環で2000年に設立されたそうですが、建て替え中で休館中だそうです。野間コレクションと呼ばれる美術品や出版関係の資料を展示していたそうです。
 
写真は撮っていないのですが、この向かい側辺りに
和敬塾という名前の男子大学生、大学院生の寮があります。
村上春樹氏が上京してきたおりに少し住んでいたそうで「ノルウェイの森」に出てくる寮は和敬塾をモデルにしていると言われているそうです。
とっても大きな寮でした。
 
和敬塾の並びに
永青文庫
があります。
旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、16代当主細川護立の収集品などを収蔵し、展示・研究を行っているそうです。
私の大好きな菱田春草の「黒き猫」(重要文化財)も永青文庫の所蔵品です。
 
 
また、暫く歩くと
蕉雨園という建物が。
明治時代の宮内大臣田中光顕伯爵の邸宅だったそうです。
原則非公開ですが、ロケや茶会などには利用されているそうです。
この日もいかにも「お茶をたしなんでいる様子の和装の方々」が玄関前にいらっしゃいました。
 
蕉雨園の建物を塀の外から・・・この屋根の反りが珍しいそうです。
 
この後は
文京区立肥後細川庭園へ
幕末に細川家の下屋敷になり、明治期以降、細川家の本邸に。1960年に東京都がここを購入し、翌1961(昭和36)に「新江戸川公園」として開園。1975(昭和50)に文京区に移管され現在に至るそうです。名前は公募で変更したそうです。付近は目白台からの湧水が豊富で、それを活かした江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも楽しむことができるそうです。
 
庭園内にある
松聲閣 しょうせいかく
元々細川家の学問所で1887(明治20)頃の建物。一時期は細川家の住まいとしても使われていたそうです。
公園になってからは集会所として使われていたが、老朽化のため一時利用休止。歴史性を生かして保存・修復を行うとともに、耐震性を確保し、2016年1月に再オープンしたそうです。中は、なんか地区センターっぽい感じでした。っにしては、建物が豪華すぎますが・・・
くまモンがお出迎えしてくれました。
 
この庭園は勿論、永青文庫や和敬塾の辺りまで
細川さんちの敷地だったそうです・・・「ドンだけ広いんやぁ?!」っと。松聲閣は細川護熙元首相も子供のころに住んでいたとか?
やっぱ、殿様さんちの規模は違いますねぇ。
 
この後、文京区立目白台運動公園という場所に移動。もともと、公務員の為の運動施設だったのを区立に。
ここのお隣が有名な目白の田中邸(目白御殿)、今は真紀子さんちですね。火事になりましたが敷地が広すぎて外からは何処か全く分かりませんでした。角栄さんから、真紀子さんへの相続時に相続税を物納されたそうで、運動公園側は文京区が最終的に取得して公園を広げて、反対側は同じ様に最終的には日本女子大学が取得したそうです。きっと多額な相続で、土地でお支払いしたんでしょうね。前を通りましたが『田中』と表札が上がっていました。
 
この後は目白不動(金乗院)さんに寄りました。
もう、閉めかけていらっしゃったのに、「どうぞ」と拝観させてくださってとっても親切なお寺さんでした。
お不動さんは左腕から火炎が上がっている迫力満点のお姿でした。
 
この後、雑司ヶ谷駅まで行って解散となりました。
 
見どころ満載、今回もとっても充実した街歩きになりました。
 
引き続きその③で、階段やら坂道やらをまとめてアップしておきたいと思います。