英会話のonline lessonでニュージーランドの先生に"ANZAC Day"の事を教えてもらっていたので、
当日(4/25)の午後にお馴染みの英連邦戦死者墓地を訪ねてみました。
翌日が雨予報だったので、バタバタと忙しい日だったのですが、頑張って行ってきました。
 
連休少し前に、警官が墓地の回りで警護していて、黒塗りの外交官ナンバーの大きな車が出入りしているのを見たことがあったのですが、「いったい、今日は何の日?」と思っていました。毎年、ピンポイントでこの日に散歩をしている訳でもないので、数年に一度「あっ、今年も!」って感じだったのですが、やっと謎が解けました。スッキリ!あれは、アンザックデーの追悼式典に大使さん達が来ていたんですね。
 
ニュージーランド大使館のFacebookにアンザックデーの分かり易い説明がありました↓
 
アンザックデーは、第一次世界大戦中の1915年4月25日にオーストラリア・ニュージーランド連合軍(ANZAC)がガリポリ半島(現トルコ・ゲリボル半島)への上陸を開始したことに由来し、これまでの戦争に従軍したすべてのオーストラリア人とニュージーランド人に敬意を払う記念日となっている。

 

 

オーストラリアとニュージーランドの墓地には沢山の綺麗な花輪が供えられていました。

 
 
色がとってもカラフルで日本の御供とは全然違いますよね。
リメンブランスポピーの花輪(写真の左下)もありました。
花輪はオーストラリア、ニュージーランドは勿論
イギリス、カナダ、アメリカ、フランス、トルコ、トンガからも。
例年関係国の大使の方が出席されているようです。
国内からは浜田防衛大臣や、自衛隊の偉いさんからの花輪も有りました。
イギリス大使館は
His Britannic Majesty’s Embassyという表記でした。なんだか、オシャレぇーー。HerからHisに代わったんですもんね。(Britannic 英国の Majesty’s 陛下の Embassy 大使館)
いつもながら英語の勉強になります!
 
 
 
こちらは第二次大戦以降の墓地なんですが、こちらにもお供えがありました。
 
いつもは無いテントが張られていました。追悼式典関係だろうと。
 
 
訪問時はカラタネオガタマの花が沢山咲いていてものすごく甘い香りがアチコチに漂っていました。
バナナの様な香りとよく書いていますが、私的にはバニラの香りに感じます。
 
 
 
シャクナゲのグラデーションがとっても綺麗。
 
 
この白い花は「ニセアカシア」の様です。
なんで、ニセなんだろう?
少し長くなりますが、分かり易い説明があったので貼っておきますね。
 
初夏に新緑の木々が夏の装いを始める頃、ハリエンジュ(ニセアカシア)の花が咲き始めます。小枝いっぱいに房状に垂れ下がって咲く花の姿は、見事です。それまで緑の葉が勝っていても、この時期だけは雪をかぶったように白色が緑に映える様子がひときわ美しく見えます。
この花は、明治になってから津田仙(現津田塾大学の創始者である津田梅子の親)によって日本に紹介されました。1873年にウィーンで開かれた万国博覧会に派遣された時、ハリエンジュの種子を持ち帰ったとされています。1875年、この種子から生長した苗が東京都・大手町に植えられ、日本初の街路樹となりました。大手町にはそのことを示した石碑も残されています。その後、日本各地にハリエンジュが植えられるようになりました。
日本では一般にハリエンジュのことを「アカシア」と呼んでいますが、エンジュに似て針があることから、植物学上は「ハリエンジュ(針槐樹)」が正式名です。「ニセアカシア」「イヌアカシア」などの別名もあります。
真のアカシア属は、オーストラリア原産の黄色花の灌木です。日本では真のアカシア属の改良品種のことを「ミモザ」「ハナアカシア」などと呼んで区別し、主に切り花に用いています。ロビニー属のハリエンジュが日本でアカシアと呼ばれるようになった由来は、ハリエンジュがアメリカから輸入された当時、単に「アカシア」と呼ばれていたのがそのまま定着してしまったからです。
 
Yokohama War Cemeteryは
いっつもほぼ貸切状態なんですが、
今回は外国人の訪問者の方もいらっしました。ANZAC Dayだからでしょうか?
 
昨日とうって変わって、今日は雨風が激しくて・・・あの綺麗な花輪たち、どうなってるんでしょうか?ちょこっと心配。