早起き1175日目
おはようさまです。
新しいノートパソコンを買いました。
これで自宅にもパソコンの環境が整いました。
windows8は色々便利になっていると思いますが、何が出来るのか、何が自分はしたいかが分かっていなければ宝の持ち腐れになってしまいそうです。
本格的にパソコンに触れるようになったのが20年前。
その頃は実にのんびりしていましたね。
処理速度が遅いからじっと待つこと、耐えることを覚えました(笑)
最初触ったのはMACでした。
その当時の最高スペックを揃えました。
メモリーが1MB1万円していたような記憶があります。
メモリー増設に数十万かけたと思います。
それでも満足出来ませんでした。
自分の感性の速度と機械の速度が合っていなかった。遅い。
それから数年後にはwindows3.1が登場し、あっという間にアップルコンピュータの存在感は無くなりましたね。。。
猿真似でしたが、その後の市場への浸透するスピードには、多数派と少数派の意味を学びました。
最近、気づいたのですが、自分の感性に機械がついてこれないことよりも、自分の肉体がついてこれていないことを痛感しております。
これからは、スピード化の時代を経験して限界を知った人類はボチボチへとシフトしていくと予想します。
頭で思ったことが瞬時に実現すると肉体がついてこれていないのでそれもストレスになるからです。
何事もほどほどが丁度良いのです。
新しいノートパソコンを買いました。
これで自宅にもパソコンの環境が整いました。
windows8は色々便利になっていると思いますが、何が出来るのか、何が自分はしたいかが分かっていなければ宝の持ち腐れになってしまいそうです。
本格的にパソコンに触れるようになったのが20年前。
その頃は実にのんびりしていましたね。
処理速度が遅いからじっと待つこと、耐えることを覚えました(笑)
最初触ったのはMACでした。
その当時の最高スペックを揃えました。
メモリーが1MB1万円していたような記憶があります。
メモリー増設に数十万かけたと思います。
それでも満足出来ませんでした。
自分の感性の速度と機械の速度が合っていなかった。遅い。
それから数年後にはwindows3.1が登場し、あっという間にアップルコンピュータの存在感は無くなりましたね。。。
猿真似でしたが、その後の市場への浸透するスピードには、多数派と少数派の意味を学びました。
最近、気づいたのですが、自分の感性に機械がついてこれないことよりも、自分の肉体がついてこれていないことを痛感しております。
これからは、スピード化の時代を経験して限界を知った人類はボチボチへとシフトしていくと予想します。
頭で思ったことが瞬時に実現すると肉体がついてこれていないのでそれもストレスになるからです。
何事もほどほどが丁度良いのです。
早起き1174日目
おはようさまです。
人は学びたい気持ちを幾つになっても失うことは無い。
生涯現役という研究者、ようやく納得いく作品が出来るようになってきたという人間国宝。
老いて枯れるその日まで求めることを止めない姿は、一番人間らしいと思う。
人間は不完全な存在で生まれてくる。
そして、より良くなりたいという本能が成長を促す。
子供が大人に何でもかんでも何で?
とウザイくらい訊いてくるのは、物事を知らないからだ。
知らないことを知って、新たなる自分を作り上げたいという本能である。
だから、命の限り学ぶ意欲は無くならないのが本来の人の有り様である。
それが、悟りという錯覚で学ぶ欲望を封印してしまうのは違うと思う。
果てしない欲望の本質は成長意欲であり、それが歪んでしまう人が多いのは事実であるが、だからと言って欲望を仕舞い込むのは自分自身に失礼だと思う。
命の限り成長することこそが、命の目的であり、人の可能性が無限と呼ばれるのもそこにある。
だから、ある日突然現状に違和感を覚える、このままじゃ駄目なんじゃないかと不安を覚えることは、とても喜ばしいことなのです。
それは、成長意欲がいよいよ心の奥底から溢れんばかりに湧き上がってきた訳だから、素直にその気持ちに従えばいい。
学びたい気持ちに年齢制限はありません。自分が勝手に限界を設けて折り合いをつけているだけ。
足るを知るとは、自分には無限の欲望があることを自覚し認めること。
そして、その欲望が身勝手なものになっていないか常々謙虚に戒めの気持ちを持ち、人のお役に立つという命のもう一つの大切な目的と方向が合っているか、向かっている行き先を意識することです。
足るとは、満足している自分のことなんです。
満足を感じても、次の瞬間から新たなる欲望が生まれてくる自分に気づく時、学び続けることに違和感は無くなります。
人は学びたい気持ちを幾つになっても失うことは無い。
生涯現役という研究者、ようやく納得いく作品が出来るようになってきたという人間国宝。
老いて枯れるその日まで求めることを止めない姿は、一番人間らしいと思う。
人間は不完全な存在で生まれてくる。
そして、より良くなりたいという本能が成長を促す。
子供が大人に何でもかんでも何で?
とウザイくらい訊いてくるのは、物事を知らないからだ。
知らないことを知って、新たなる自分を作り上げたいという本能である。
だから、命の限り学ぶ意欲は無くならないのが本来の人の有り様である。
それが、悟りという錯覚で学ぶ欲望を封印してしまうのは違うと思う。
果てしない欲望の本質は成長意欲であり、それが歪んでしまう人が多いのは事実であるが、だからと言って欲望を仕舞い込むのは自分自身に失礼だと思う。
命の限り成長することこそが、命の目的であり、人の可能性が無限と呼ばれるのもそこにある。
だから、ある日突然現状に違和感を覚える、このままじゃ駄目なんじゃないかと不安を覚えることは、とても喜ばしいことなのです。
それは、成長意欲がいよいよ心の奥底から溢れんばかりに湧き上がってきた訳だから、素直にその気持ちに従えばいい。
学びたい気持ちに年齢制限はありません。自分が勝手に限界を設けて折り合いをつけているだけ。
足るを知るとは、自分には無限の欲望があることを自覚し認めること。
そして、その欲望が身勝手なものになっていないか常々謙虚に戒めの気持ちを持ち、人のお役に立つという命のもう一つの大切な目的と方向が合っているか、向かっている行き先を意識することです。
足るとは、満足している自分のことなんです。
満足を感じても、次の瞬間から新たなる欲望が生まれてくる自分に気づく時、学び続けることに違和感は無くなります。
