早起き4518日目
おはようさまです。
この時期は喪中の葉書が知人の大切な人との別れを知らせてくれる。
そんな時、僕には掛ける言葉が無いのだ。
悲しむ人を慰める言葉が見当たらないのだ。
何を言っても、どんな言葉を発しても、それは自分の気持ちを表わせない。
言葉に出来ない想いは、どうしたら伝えられるのだろう。
いや、伝わらなくても良いのかも知れない。
心中お察し致しますと言った中に、私の気持は込められないのだ。
ニュアンスが違うのだ。
生まれたら死ぬという巡りの中に在る私達。
死ぬことは特別な事ではないのだ。
目の前に居る人は、いつの日か必ず死ぬのだ。
別れは必ず訪れるのだ。
限られた時の中で、一時一緒に過ごせたことが、とてつもなく幸せだったと思っている人。
死を受け容いれられずに、ただただ嘆き悲しむ人。
夢の途中で逝ってしまった無念を、傍に居てどうする事も出来なかった無力感を抱かえている人。
人は色々だから、『察する』は何にでも使える便利な曖昧な言葉なのだ。
僕に出来る事は、同じ時代を生きた方に、命の限り生きたお方に、お疲れ様でしたと労い、命を全うした祝福を、胸の中に満たすだけです。
おめでとうございます。
さようなら。
と。
生きるとは死ぬことなり。
生きていると、死んでいるを、別けて考えると辻褄が合わなくなる。
生と死は一つなのだから。
それが、命というものなのだから。
別れは次のスタートライン。
先に逝くその背中にエールを贈ろう。