早起き1201日目
目が覚めて 楽しい夢は 二度寝して
夢の続きを うんと楽しむ
おはようさまです。
昨日は神社で八方塞がりのお祓いをして頂きました。
今年は五黄土星が八方塞がりの年。
慎ましく静かに穏やかに生きていきます。
だから、せめて夢の中だけでも大暴れ致したいと願います(笑)
欲望渦巻く夢の中では、物凄い逆境に立たされて、待ってましたとばかりに「チャンス♪」と叫んで身悶えたい。
逆に思い通りになる夢は、最初は楽しくて幸せなのですが、だんだん平和ボケというか飽きてきます。
普段の生活が幸福感に満ち溢れているのなら、なにも夢の中でも平和である必要はありませんよね。
以前どこかで「人は死んだら神様の処に行く」と聞いたことがあります。
するってぇと、人は神になるのかい?
そう言えば死体のことを刑事ドラマでは「仏(ほとけ)」と呼んでます。
何か願い事をする時のセリフは「神様、仏様...どうかお願い!」だし。
確かに存在するのでしょう。自分を超えた存在は。だから皆がお参りをする。お祓いをする。
しかし、死んで神になるというのは少々飛躍が過ぎます。
自分を超えた存在にすがっている者が突然変異をする以上の変貌ですから。
どちらかと言うと、元に戻ると考える方が実感がわきます。
人の世は仮初めであり、出張してきたようなもの。
何かを為すために産まれてきたのだと人生は捉えるべき。
長年続く老舗は、ご先祖様を大切に祀っている。
いつも見守って下さっていると感じられる位に情熱を込めて先代の思いは語り継がれる。
そうすると、生まれ変わりはあり得なくて、次から次へと魂は生ずることになります。
しかし、記憶は遺伝子で次世代に受け継がれていくという、生命の仕組みが少しだけ明らかになってきており、また新たな考え方(屁理屈)が必要となってきている。
魂と記憶の関係。
前世の記憶がある人が存在する。
それは魂が転生したのか、記憶が鮮明に遺伝したのか、どちらなのだろう。
かつては外国での記憶があるなら地理的に繋がりを結びつけるのは無理があったが、現在の無線LANを見ていて気づいた。
遺伝子は無線LANのように各々が繋がっているのかも知れない。生命のネットワークというものが最初からあって使いこなせていないだけ。
だとしたら、そういう他所での記憶が何かの拍子にイレギュラー的に色濃く写されることもあるだろう。
それが前世の記憶なのかも知れない。
だから、究極は全人類が繋がりを自覚し使いこなし、人としての集合意識体としての世界統一が成されるのかも知れない。
私は「私の前世はイタリア人です。」と言っていますが、前世の記憶がある訳ではありません。
スパゲッティが大好きということを伝える為に、説得力を持たせる為に、使っています(笑)
我ながら、伝わりやすい表現だと自負しています。
昨年はそれをビジュアルで表現するために、一日一麺必ずスパゲッティを食べて、証拠写真をブログに毎日アップしました。
食べる前に撮影し、食べ終わったら直ちに記事を投稿するというルールにしました。
そうしないと忘れてしまうのですね。
うっかりランチで写真撮影を忘れた時は夜も食べていましたし(笑)
ちょっと横道に逸れましたが、オーラとか、気の流れだとかが生命同士の無線LANなのかなと思います。
色んなカタチで、色んなタイミングでその痕跡は目の前に示されており、情報が流されており、それらを信じる信じないというよりも、全てを繋げて考えることがこれからは大切なのだと感じます。
この世界は多分ひとつながりになっています。
関係性の無いバラバラな存在だったら、この世界(宇宙)という枠組みは不要であり、繋がっているからこそ世界が形作られているのだと思います。
風が吹けば桶屋が儲かるのです。
だから、目の前に起こったことは全て必然であり、悲劇も喜びも同等に受け取り受け入れなければなりません。
色んな事が起こりますよ。
この上ない幸福も、深遠なる絶望も、この世界には等しく同居しています。
瞬間的に一喜一憂するのは個人の自由ですが、最終的には無条件で受け入れなければなりません。
それがこの宇宙がのルールだと思います。
地球が大自然がそれを自らの生きざまにて教えてくれています。
都合の良いことばかりではバランスが悪くなります。
ならぬものはならぬのです。
夢の続きを うんと楽しむ
おはようさまです。
昨日は神社で八方塞がりのお祓いをして頂きました。
今年は五黄土星が八方塞がりの年。
慎ましく静かに穏やかに生きていきます。
だから、せめて夢の中だけでも大暴れ致したいと願います(笑)
欲望渦巻く夢の中では、物凄い逆境に立たされて、待ってましたとばかりに「チャンス♪」と叫んで身悶えたい。
逆に思い通りになる夢は、最初は楽しくて幸せなのですが、だんだん平和ボケというか飽きてきます。
普段の生活が幸福感に満ち溢れているのなら、なにも夢の中でも平和である必要はありませんよね。
以前どこかで「人は死んだら神様の処に行く」と聞いたことがあります。
するってぇと、人は神になるのかい?
そう言えば死体のことを刑事ドラマでは「仏(ほとけ)」と呼んでます。
何か願い事をする時のセリフは「神様、仏様...どうかお願い!」だし。
確かに存在するのでしょう。自分を超えた存在は。だから皆がお参りをする。お祓いをする。
しかし、死んで神になるというのは少々飛躍が過ぎます。
自分を超えた存在にすがっている者が突然変異をする以上の変貌ですから。
どちらかと言うと、元に戻ると考える方が実感がわきます。
人の世は仮初めであり、出張してきたようなもの。
何かを為すために産まれてきたのだと人生は捉えるべき。
長年続く老舗は、ご先祖様を大切に祀っている。
いつも見守って下さっていると感じられる位に情熱を込めて先代の思いは語り継がれる。
そうすると、生まれ変わりはあり得なくて、次から次へと魂は生ずることになります。
しかし、記憶は遺伝子で次世代に受け継がれていくという、生命の仕組みが少しだけ明らかになってきており、また新たな考え方(屁理屈)が必要となってきている。
魂と記憶の関係。
前世の記憶がある人が存在する。
それは魂が転生したのか、記憶が鮮明に遺伝したのか、どちらなのだろう。
かつては外国での記憶があるなら地理的に繋がりを結びつけるのは無理があったが、現在の無線LANを見ていて気づいた。
遺伝子は無線LANのように各々が繋がっているのかも知れない。生命のネットワークというものが最初からあって使いこなせていないだけ。
だとしたら、そういう他所での記憶が何かの拍子にイレギュラー的に色濃く写されることもあるだろう。
それが前世の記憶なのかも知れない。
だから、究極は全人類が繋がりを自覚し使いこなし、人としての集合意識体としての世界統一が成されるのかも知れない。
私は「私の前世はイタリア人です。」と言っていますが、前世の記憶がある訳ではありません。
スパゲッティが大好きということを伝える為に、説得力を持たせる為に、使っています(笑)
我ながら、伝わりやすい表現だと自負しています。
昨年はそれをビジュアルで表現するために、一日一麺必ずスパゲッティを食べて、証拠写真をブログに毎日アップしました。
食べる前に撮影し、食べ終わったら直ちに記事を投稿するというルールにしました。
そうしないと忘れてしまうのですね。
うっかりランチで写真撮影を忘れた時は夜も食べていましたし(笑)
ちょっと横道に逸れましたが、オーラとか、気の流れだとかが生命同士の無線LANなのかなと思います。
色んなカタチで、色んなタイミングでその痕跡は目の前に示されており、情報が流されており、それらを信じる信じないというよりも、全てを繋げて考えることがこれからは大切なのだと感じます。
この世界は多分ひとつながりになっています。
関係性の無いバラバラな存在だったら、この世界(宇宙)という枠組みは不要であり、繋がっているからこそ世界が形作られているのだと思います。
風が吹けば桶屋が儲かるのです。
だから、目の前に起こったことは全て必然であり、悲劇も喜びも同等に受け取り受け入れなければなりません。
色んな事が起こりますよ。
この上ない幸福も、深遠なる絶望も、この世界には等しく同居しています。
瞬間的に一喜一憂するのは個人の自由ですが、最終的には無条件で受け入れなければなりません。
それがこの宇宙がのルールだと思います。
地球が大自然がそれを自らの生きざまにて教えてくれています。
都合の良いことばかりではバランスが悪くなります。
ならぬものはならぬのです。