早起き645日目
おはようさまです。
人生には色々なことが起きてくる。
良いことも悪いことも起きてくる。
その捉え方に正解は無いように思えてきた。
無限の可能性が人には与えられている。
つまり答えは無限にある。ということである。
無限イコール零である。
表裏一体である。
無限を前にしても、零を前にしても、さほど変わらないではないか。
いや、これっぽっちも変わらない。
この世界を俯瞰的に見てしまえば、個は世界の中の構成要素であり、この世界は一つにしか見えない。
ゆえに、無限も零も関係なくなる。
だから、正解を探すことは無駄である。
全てが正解であり、それを比較するほうが無理がある。
そこに違和感を感じていた。
正解を求めることは、同じであることの確認であり、無限の可能性に満ちた自然の中では全く同じものは無い訳だから、正解を求めるのは不自然な行為である。
自然を否定することになり、自然に属する自分自身を否定することになり、これを矛盾というのだろう。
1+1=2 ではない。
これは人間が大雑把に自然を捉えた考え方であり、混沌の中に秩序を求めた訳である。
生活をしていく上では大雑把に捉えてもさほど問題は無いが、この世界がキッチリ割り切れると錯覚してしまったのが人類の不幸である。
微妙にずれているものも存在しているのに、割り切れないものに対しては無視をした。
そこに無理が生じ、徐々に自然界の中で浮いた存在になっていっている。
無限も零もただ素直に受け入れることが自然な捉え方だと思う。
答えも色とりどりあって当然だし、無理して枠にはめる必要もないし、枠は限界でもあるし、あるがままが一番美しいと思う。
あるがままが奇跡のカタチである。
人生には色々なことが起きてくる。
良いことも悪いことも起きてくる。
その捉え方に正解は無いように思えてきた。
無限の可能性が人には与えられている。
つまり答えは無限にある。ということである。
無限イコール零である。
表裏一体である。
無限を前にしても、零を前にしても、さほど変わらないではないか。
いや、これっぽっちも変わらない。
この世界を俯瞰的に見てしまえば、個は世界の中の構成要素であり、この世界は一つにしか見えない。
ゆえに、無限も零も関係なくなる。
だから、正解を探すことは無駄である。
全てが正解であり、それを比較するほうが無理がある。
そこに違和感を感じていた。
正解を求めることは、同じであることの確認であり、無限の可能性に満ちた自然の中では全く同じものは無い訳だから、正解を求めるのは不自然な行為である。
自然を否定することになり、自然に属する自分自身を否定することになり、これを矛盾というのだろう。
1+1=2 ではない。
これは人間が大雑把に自然を捉えた考え方であり、混沌の中に秩序を求めた訳である。
生活をしていく上では大雑把に捉えてもさほど問題は無いが、この世界がキッチリ割り切れると錯覚してしまったのが人類の不幸である。
微妙にずれているものも存在しているのに、割り切れないものに対しては無視をした。
そこに無理が生じ、徐々に自然界の中で浮いた存在になっていっている。
無限も零もただ素直に受け入れることが自然な捉え方だと思う。
答えも色とりどりあって当然だし、無理して枠にはめる必要もないし、枠は限界でもあるし、あるがままが一番美しいと思う。
あるがままが奇跡のカタチである。