愛のメモリー | 三人の球児の野球日記

三人の球児の野球日記

No Life,No Baseball.

今日の夕方、仕事で神田の神保町に。


駅をおりたときの、街並みを見て、


若かりし頃の出来事が、


ふと胸に蘇りました。


あれは、20才のとき。


当時の僕は、大学受験に2年連続で失敗し、


しがない浪人生。


金もない、身分もない、あるのは根拠のない、


若さ故の自信と、あり余る時間だけ。


そんな年の、夏真っ盛りの頃。


友人に誘われて、解体屋のバイトをしておりました。


要するに、地上げ屋が買い取った物件を取り壊し、


跡形もなく、撤去をする仕事。


その現場が、ここ神田の神保町。


日当は、忘れもしない、昼メシ込みの1万2000円。


3階建ての店舗兼住居を、バールを片手にひたすら壊す。


アスベストの粉塵を、大量に吸い込みながら、


パキスタン人の仲間と、3階の屋根に登り、


東京の街並みを見下ろしながら、汗を流す毎日。


当時、ラジオでは夏の甲子園の実況が流れておりましたが、


おそらく甲子園のマウンドより気温が高いなー、と思ったことを


覚えています。


そんなある日、いつもと同じように3階の屋根に登り、


物件の解体を始めた矢先、


前日の雨で足元を滑らせ、


階段を転がり落ち、1階の地面まで叩き落されました。


人生が走馬灯のように、なんてよく言いますが、


滑ってから、地面に達するまで、おそらくほんの数秒。


でも、ものすごく時間が流れたような感覚でしたね。


まだ生きてると思って、安心した瞬間、自分の手に持っていた


バールが目の上に突き刺さり、そのまま病院へ。


そんな思い出の場所、神保町。


忘れたくとも、忘れられない、そんな昔の思い出です。


余談ではありますが、そのときのバイト代で、


翌月の彼女の誕生日に、指輪をプレゼントしたことを


たった今、思い出しました。


まだ持っていてくれているのかな?


このオレの血と汗と涙の結晶を。


今週末、大阪に帰ったら聞いてみよう(笑)