「亀田家を代表して記者会見した、興毅選手」の姿を見て、思ったこと。
今日、夕食時にニュースで、
「亀田家の長男、興毅選手が、記者会見」
を、見ました。
途中からだったので、実際に見たのは、数秒です。
詳しくは、新聞、ネットのニュースで知りました。
この会見についての私の印象は、
「たいしたものだ」
という感じです。
特にそう感じたのは、
「父親(オヤジ)について」
のことです。
世間では、
「亀田家の父親は、非難のマト」
です。
しかし、今日の記者会見で、父親の事を、興毅選手は、
「小さい頃から育ててきてくれたのは親父やし。
今オレがここいるのも親父のおかげ。
親父の教えてくれたボクシングで世界王者になれた。
だから、親父には感謝してます。
みんなは悪いように、世間ではそういう風に思われてるかもしれないけど…
オレらの中では世界一の親父だと思ってるから。
親父は親父に変わりはないんで」
(ネット産経新聞記事より、抜粋)
と、言いました。
「世間が、どう言おうが、父親を愛し、感謝している」
そんな事を言えるのは、本当に素晴らしいことです。
「もし、自分だったら、こんなことが、出来るだろうか?」
ふと、そう思ってしまいました。
ただ、
「身内だからといって」
「本人も、悪いことを、したのだから」
という批判もあるでしょう。
でも、
「20歳の若者が、世間の非難厳しい今、
本人曰く『亀田家代表』として記者会見に現れ、
そしてなお、父親への尊敬や感謝を、言える」
のは、私には、すごい事だと、思います。
私は、ブログの記事で、正直なところ、
「どちらかというと、亀田家に、好意的」
でした。
「マスコミの袋叩き的な報道」
への非難も、確かにありました。
しかし、興毅選手の、
「世間に非難されていたパフォーマンス」
は、
「気の弱さを隠すための虚勢」
にしか見えないほどの、
「気のやさしい、若者」
と、私の目に映っていたからです。
特に、長男・興毅が、兄弟でテレビ出演する時に、
「弟二人への気遣い」
を、しっかりしている姿に好印象があったからです。
ただ、それでも、
「試合前の、相手選手への挑発は、やりすぎ」
でした。
「試合での反則を指示するような行動」
は、非難されて当然だと思います。
「言葉遣いも、さすがに、ちょっと・・・」
とも、思います。
しかし、彼はまだ20歳です。
(弟・大毅選手にいたっては、まだ18!)
いくらでも、やり直しは、出来ます。
人間、誰だって、間違いは、あります。
大切なのは、
「どう、乗り越えていくか」
なのですから。
ただ、これは、簡単な事では、ないと思います。
ですが、ボクシングファンとして、
「今の最悪の状況を乗り切って、
さらに、一回り大きく成長したボクサーとなる事」
を、期待しています。
「今の国会の状況」で疑問に思う事。「インド洋で働く日本人のことを、考えているだろうか?」
国会で今最大の議題が、
「テロ特別措置法」
です。
しかし、その議論が盛り上がるはずが、
「守屋前次官の接待ゴルフ疑惑 」
「給油量訂正の隠ぺい」
の二つの話題を中心に国会が動いています。
この問題は、あまりのタイミングのよさに、
「なぜ、この時期に、こんな疑惑が?」
と、多少違和感があります。
野党としては、
「審議を遅らせ、特措法延長を、阻止する」
には、格好のネタです。
先日の記事の続きではありませんが、
「国を守る事を職務とする防衛省が、バレると困る事が、ある」
というのは、何やら情けない話です。
かといって、与党も、
「参院では、野党が過半数を占めているだけに、無視も出来ない」
のです。
ただ、
「肝心の法案内容での議論が、深まらない」
のには、不満もあります。
何より心配なのは、
「現場で働く、自衛官達のこと」
です。
今なお、日本から遠く離れたインド洋で、
「働く日本人が、いる」
のです。
「日本の国会の状況を知ったら、どんな気分だろうか?」
と、心配になります。
出来れば、
「まったく知らないことを、祈るばかり」
です。
今の国会の状況を見る限り、
「果たして、現場の事を、思う浮かべる人は、何人いるだろうか?」
と、思ってしまいます。
「相手の立場に立って、物事を考える」
これは、人として、とても大切な事だと思います。
そして、
「人として、とても基本的な、事」
だとも、思います。
私達自身も、
「社会で生きる人間として、決して忘れてはいけないこと」
です。
難しいことでは、ありません。
もっとも、簡単に出来ることは、
「自分が、されて、嫌な事を、しなければ、いい」
だけです。
「ちょっと、想像してみる」
だけで、簡単に出来る事です。
私達も、日々、大切にしたい事です。
そして、
「議員さんや、防衛省の皆様にも、大切にして欲しい」
と、願います。
ここ数日の報道で想う、「日本社会全体における、ルール軽視の流れ」
ここ最近、新聞には、
「偽装」「隠蔽」「不正」
などの活字が、踊っています。
また、テレビでは、
「何かの謝罪をする、大人達」
の姿も、よく見ます。
連日、こんなものばかり見て、
「日本という国は、どうなっているのだ?」
と、お怒りの方や、あきれておられる方も、大勢いることでしょう。
しかも、ここ数日の報道の共通点は、
「隠していたのに、バレた」
といった感じです。
しかし、この、
「バレなきゃ、いいのだ」
という発想は、
「日本全般に、広がっていること」
と感じるのは、私だけでしょうか?
多くのケースでは、きっと、最初は、
「黙っていれば、バレない」
ぐらいの発想だったかも、しれません。
しかし、それがいつのまにか、
「隠し事があるのが、当たり前」
になります。
企業の不正でも、
「あそこも、同じ様な事、やっているんだから」
といって業界全体に広がったりするのです。
ここ数年、よく話題になっている、
「賞味期限問題」
「耐震偽装」
などが、いい例だと、思います。
確か、私が小学生の頃は、学校で、
「悪いことは、当然悪い。
でも、隠すのは、もっと、悪い」
と、教わったのです。
しかし、今やそんな事は、通用しないのですね。
日本には、『一応』、
「法律やモラルなどの、社会的ルールが、ある『はず』」
です。
『一応』『はず』といいたくなるほど、今の日本では、
「決められているルールを、守ろうとする意識が低い」
と、思います。
確かに、皆がルールを守らなくなると、
「ルールなど、守ることが、バカバカしい」
と、思う人が増えて当然でしょう。
しかし、
「こんな時代だからこそ、あえて、ルールに、こだわってみる」
のも、必要かもしれません。
どんな、身近な事でも、いいのです。
一人で、それを始めても、
「むなしくなるだけ」
でしょう。
でも、ここは、あえて、
「社会全体が、ルール軽視だからこそ、一人から始めてみる」
ことが、大切かもしれません。
それが、いずれ、
「広がっていく」
のかも、しれないのですから。
「甘い!」
とは、わかっています。
しかし、
「一人ひとりの力を、軽視していては、社会は何も変わらない」
と、私は、思っています。
そして、今の日本は、
「『一人』の力を、軽視しすぎているのでは?」
とも、思っています。
「祖母の見舞い」て感じた、「まじめすぎる日本人の、老後への不安」
今日は、京都で入院中の祖母を見舞いました。
「おっさん」の祖母ですから、もう、
「大正生まれの、90歳」
です。
とはいっても、今の高齢化社会では、珍しくもありませんが。
想像していたより元気なのには、少し安心しました。
今回の入院も、特に大病では、ありません。
なにせ、
「戦争、貧困、複雑な家庭事情、旦那との2度の死別」
いいだせば、きりが無いほどの苦労人です。
たくましさは、並ではありません。
しかし、それを、見事に乗り越え、平成の時代に生きているのです。
私の顔を見るたびに、言うセリフが、
「もう、いつお迎えが来ても、おかしくないからな。
もう、あかんわ」
と、言い続けて、かれこれ、
「20年」
です。
ちなみに、今日も同じセリフを、言いました。
外科的な病気なので、動くことは出来ません。
ですが、脳は、錆びていませんでした。
病室にあるテレビは、コンセントもアンテナも、抜かれたままです。
見舞いに来る家族に、
「見たらいいのに」
と、言われても、見ません。
それが気になったので、今日理由を聞き出すと、
「お金が、かかるやろ」
とのこと。
昔からでしたが、今でも本当にしっかりしています。
先ほども述べましたが、今、日本は、
「高齢化社会」
に、突入しています。
そのため、高齢者の医療費増加が大きな課題になっています。
医療費以外に、私が気になっているのが、
「元気なお年寄り(何歳から、というのは、今の時代難しいですが)で、
ヒマで、何もすることが、ない人」
が、多いのがとても気になります。
特に、男性の場合、
「特に趣味も無く、ひたすら仕事一筋」
だった方が多く、
「定年後、何をしていいのか、わからない」
という人が多いのです。
そのため、
「家でテレビばかり見て過ごし、外部との接触もなく、
そのまま、認知症になってしまうケース」
も、多いと聞いています。
ちなみに、90歳の祖母も、
「70歳まで、仕事一筋」
だったのです。
趣味はおろか、旅行もほとんど行っていません。
入院前も、ひたすらテレビ三昧。
「何か、することが、ないやろか?」
と、私も日々考えていましたが、なかなか、いいアイデアも、浮かびません。
「老後、どうやって、過ごすのか?」
これは、高齢化社会の大きな課題だと、思います。
今の高齢者の方は、
「まじめすぎる、日本人」
の典型です。
ですが、ぜひ、老後は、
「不真面目な、日本人」
であるぐらいの方が、いいかもしれません。
今やパソコンを使える高齢者の方も増えています。
そういった方は、ぜひ、
「定年後、ブログを始めて、仕事時代とは、違った世界をのぞいて見る」
ことを、お勧めしたいです。
おっさんのぼやき。「いつまで続くのか?亀田家袋叩き報道」
最近、更新の回数がすっかり減っています。
言い訳としましては、
「仕事が忙しく、記事を書くのに、頭がついていかない」
ということです。
ただ、これは、
「ただの、言い訳」
です。
多少、ブログに対する意欲が低下しているのも、事実です。
私が主にブログから伝えたいことは、
「マスコミが発信する視点とは、違った視点が、ある」
ということです。
しかし、ここ数ヶ月のマスコミの報道を見ていると、
「気力も、失せてくる」
のです。
今マスコミの話題の中心は、
「亀田家問題」
です。
いまだに、延々と続いています。
その前が、
「大相撲問題」
です。
私のブログにコメントを頂いている方々、ならびに、
私が読ませていただいているブロガーの方々は、
「マスコミの、お祭り騒ぎ」
を、冷静に見ておられる方が、ほとんどです。
ただ、世間は、そうでもないようです。
駅で売られている、
「スポーツ新聞、ならびに、夕刊紙は、見出しが勝負」
だそうです。
駅の売店でも、
「見出しが、見えるように、新聞が並べられている」
のです。
売店だけでなく、
「電車の中でも、読んでいる人たちの新聞の見出しが、目に付きやすい」
のです。
ここ最近の見出しは、毎日、
「亀田」
の文字が、踊っています。
当然、そうしたほうが、
「売れるから」
です。
つまり、
「世間の人たちが、とても興味を持っている」
と、言えるのです。
「いつまでも続く亀田報道は、世間が興味を持っているから」
今のマスコミの状態は、そのことを、
「とても、わかりやすく、表している」
のです。
「日本人は、皆、清廉潔白であれ」
などとは、私は思いません。
清濁併せ持つのが、社会なのですから。
ただ、
「ここ最近の、病的なまでの、悪意に満ちた、袋叩き報道」
には、うんざりです。
そして、これを見て、楽しんでいる人がいると思うと、
「暗い気持ちに、なる」
のです。
人は、誰でも間違いを犯します。
そのことで、周りから、強い非難を受けたりすることも、あります。
ただ、
「社会全体に、ここまで叩かれるのは、さぞ、辛いだろうな」
と、私は、思ってしまいますし、まして、
「その必要は、あるのか?」
という苛立ちも、感じます。
出来れば、対戦相手の内藤選手の如きに、
「(謝罪に来た大毅選手に)素質のある選手なので、
これからも頑張ってほしい」
と言える大きな心を持つ人が、増えることを、祈ります。
当然、「祈る」だけでなく、
「そういった人が増やすためにこそ、ブログを続けたい」
とも、思います。