Aloha!
お袋は75歳で亡くなった。
昭和16年の7月6日が誕生日だった。
現代では、そんなに高齢という感じはしないのだが、
祖母が77歳で亡くなったことを聞いて、お袋もそれなりの年齢だったのかと思った。
お袋の生まれたころは
戦争が激しさを増すころだったらしい。
学徒動員のための繰り上げ卒業があったり、食糧不足を補うための代用品とか
《備荒動植物》の調査概要が新聞にて発表されます。
備荒食とは、木の芽、野草、淡水魚などで有毒物質を含むものが多く調理に十分注意をする必要があるもので、げんごろうのてんぷら、トンボの佃煮など雑草1000種と動物100種が食料になるとされたものです。
新聞によると、
・ | トカゲは頭を取って焼く |
・ | ゲンゴロウは幼虫の時は羽をむしって焼き、成虫なら天ぷらにする |
・ | トンボは羽を除いて油で炒め、砂糖と醤油で味付けするか、佃煮に |
・ | カタツムリは焼いて食する |
・ | タンポポは若菜を和え物にする |
また、各地の公園の花壇は畑となり、土手などでも野菜が栽培される事になり、婦人部によって油を採るために《ひまわりを植えましょう運動》が起こったりもします。
食用以外にも日用品も同じく代用品が増える中、7月には新宿の伊勢丹で《廃品回収代用品展》が開催されます。
人気のあるコーヒーも代用コーヒーが増えてきます。
大豆、さつま芋、オクラ、どんぐりなどコーヒー豆以外のものを煎って粉に挽くものですが、農林省でもこの月に《代用珈琲統制要綱》を発表します。
(昭和からの贈りもの 時代の出来事より転載)
こんな時に生まれた。
だからと言う訳ではないが、お袋は150㎝ほどの小柄だった。
茨城にいるときに秋になると決まって食卓にあったものがある。
佃煮だ。
何の佃煮かって?
因みに家の目の前は田んぼだった。
春には水を張る、するとどこから出てくるのか
カエルの大合唱がひと夏続く。
カエルの佃煮ではない。
問題はそのあとだ。
稲が育って首を垂れる。水もなくなり、カエルの大合唱もなく、
「もう秋ねぇ・・・」と感傷にふける頃。
または「ひと夏の恋って本当なのねぇ」と
ふられた原因を季節のせいにして、夕焼け空を見上げて
「今の俺ってちょっとカッコいいっぺ」などと薄ら笑いをする。
そんな季節に町をにぎわすもの。
この辺で分かった方は立派な
カントリー・ボーイ&ガールズである。
そう
蝗
イナゴである。
初めて見た時はこんなものを食べるなんて
人間終わった。
と思った。
しかし、長野出身のおやじには食べた事があるらしく、近所の人とイナゴ談議に花が咲いていた。
ある日台所の片隅に大きな米袋があった。
時折カサカサと動いた。
学校から帰宅した私は
???
お袋に尋ねると
イナゴだった。
2・3日そのままにしてその後大きめの鍋で一気にゆでる。
その後、羽や大きな後ろ足をとって今度は甘辛く煮詰めていくと、
緑色のイナゴは赤茶色のテラテラと輝きを放つ佃煮になるのである。
「イナゴ1匹で卵○個分の栄養があるから
あんまり沢山食べないように」
と得意げに注意する親父
「いえいえ私は虫を食べる習慣はございません。」
と食わず嫌いを通そうとしていると
お袋がせっかく作ったんだからと強引に勧める親父。
結局、食べることに。
おそるおそる一匹を口に入れる
うっ
まっ
いっ
なんとも香ばしい、ご飯にとっても合う
それ以来、我が家の秋の風物詩となった。
秋になると米袋を持って田んぼのあぜ道を自転車で走ると面白いように採れる。
私や親父は面白がって採っていたが、
お袋はあまり面白くなかったのはいうまでもない。
こういったところでもお袋の都会っ子はなくらなかった。
旨いぞ、お袋
イナゴの佃煮
Mahalo nui!