『わかりあえないことから』
- 年度末の繁忙期に読んだ本に関する記事が溜まってる。 読んだっきり、書いてない。
- 前記事、『キャサリン・カーの・・・・』もそうだったし、これもそう。
- 読み終ったら、その直後に書いとかないと、そのまま書かず仕舞いになっちゃう。過去にも幾つかあるので、そうならないようにしときたい。。。
- 『不可能、不確定、不完全』、ってのもあるんだけど、そちらは明日以降にしとこう。。。
んでは、本題・・・
近頃やたらと喧しい言葉、“コミュニケーション能力”
勤務先でも、「部門間の垣根を取り払って、コミュニケションを活発に・・・」とか言ってる・・・。しかも、事在る毎に・・・。もっとも、20年以上も前から言われてることではある。。。一巡すると、同じようなことが言われるんだ・・・。
しかし、世間が騒げば騒ぐほど、持ち上げることほど、思春期の娘以上に(あいも変わらず)反抗期の私は、そのテのコトに対して構えてしまう。穿ったモノの観方をしてしまう・・・。
そんでもって、「コミュニケーション能力だァっ、そんなモン無くたって何とかなってきてらァ!」と、自分を基準に勝手なことをのたまって、他人の云うコトに耳を傾けない。
一方、新聞・雑誌や、特にお気に入りブログなどによる書評だとか感想を読むと、「オッ!面白そうだな」なんて思っちゃうこともある。ある特定の誰かが書かれたものに対しては、多少低姿勢になる。。。
この本も、時どきお邪魔させていただくブログの記事に触発されて読んでみたものだ。
本書の著者の立ち位置がイイ。まずもって、コミュニケーション“能力”なんてものを身に付けさせようとしていないところがイイ。そんなこと、放っから求めちゃいない。
著者の云わんとしていることを、私なりに端的に端折って言うと、次のようなことになる。
「対話をすることによって、他者との違いとか、差異をわかるようにした方が何かと良いんだよ・・・」
演劇人である著者は、そういったことが芝居や役者を通して判ってきた、演劇は他者との違いを理解するのになかなか便利だ、ってことを言う。それが、なんとなく納得できる(ような気がする)。
コンテクスト、エンパシー、っていうことの意味が理解できたのと、いかに私が「対話」をしてこなかったってことが判ったのは収穫だな。