『私の日本古代史(上)』 | 本だけ読んで暮らせたら

『私の日本古代史(上)』

久しぶりの記事になった。

毎年のことながら、年度末になってバタバタしている。


複数の件名・・・今年はいつにも増して持ち分が多い・・・。

報告書に加えて、書かなければならない論文も幾つかある。

モンテカルロ・シミュレーション実施のために、ディスク容量を意識しながら計算機を回さなければならないのも煩わしい。


さらに、

来年度予定されている業務の概要と、そのために現在行われている地盤調査の説明を受けるために出張しなければならなかったり・・・、

クライアントの施設の耐震診断と耐震補強対策の提案に関する打ち合せで毎週のように遠出しなければならなかったり・・・、

ある大学の卒業論文の発表会に出席したり・・・、別の大学の先生とも打ち合せしたり・・・、

なんだかんだで、アチコチへ外出しなきゃならない・・・。


出張・外出の際の車中では出来る限り本を読んで、溜まっている積読本を減らしたいのだが、今読んでるのは少々難解で時間が掛かってる。



『私の日本古代史(上)  天皇とは何ものか―縄文から倭の五王まで』  上田正昭/著、 新潮選書(2012)


何が難解かって、漢字の読み。

記・紀などに記載されている文言が多量に引用されているものだから、どうしても読むのに時間が掛かる。送り仮名を振ってくれている場合も多いが、二度目以降に出てきた同じ文字については振ってない。そうなると、前に出てきた箇所をページを捲って捜さなければならない。読めない文字は素っ飛ばしてもイイのだが、そんな所が連続すると、何がなんだが判らない。そうすると読んでても面白くないから、要所要所では理解しようとする。そんなことを繰り返してると、どうしたって時間が掛かる。

内容がつまらなければ、ほっぽり出せばいいのだが、面白いだけにそうもいかない。

しかも、下巻まである。。。


で、休日の本日、やっと上巻が読み終った。

以下はメモ。


大陸の史書や古文献に「倭」と表記された国が、必ずしも古代日本列島内のヤマトを指すとは限らない、というのを知ったのが一番の収穫。

朝鮮半島の南にあった伽耶(かや)とか任那(みまな)についても、場合によっては「倭」と称されていた、というのは、成程そうかもしれないと思う。


私が子供の頃、地元埼玉で発見されて大騒ぎになった稲荷山古墳鉄剣に刻まれた銘文から判ること

 =古墳の被葬者の系譜と立場、

  そして、そこから類推されるヤマト政権(ワカタケル大王=雄略天皇)の治天下が確立された段階に

  あったこと、

が理解できたのも収穫。


古代出雲の特異性は本書でも強調されている。やはり出雲には一度行かねばならない・・・。