『プレートテクトニクスの拒絶と受容』 | 本だけ読んで暮らせたら

『プレートテクトニクスの拒絶と受容』

『プレートテクトニクスの拒絶と受容 ―戦後日本の地球科学史』  泊 次郎/著、 東京大学出版(2008)


これもずっと読みたかったヤツ。

偶然にも勤務先の先輩が持っているを見て借りた。



地震、火山、造山運動など、地球上の地質現象の原因を、地球の表面を覆う100km程度の厚さの十数枚のプレート(板状の岩盤)の運動によって説明するのがプレートテクトニクス。

昨年3月11日の地震もあって、プレートテクトニクスに関係する情報は最近でもかなりの量が流れている。

おそらく、21世紀初頭の地震大国日本に暮らす人々のうちの多くは,プレートテクトニクスによる地震発生の説明を受け入れていることだろう。


だが、かつて、このプレートテクトニクスを地質学に携わる日本の学者達の一部(時期によっては相当な多数)は拒絶してきた、という歴史がある。


欧米の地質学者達が、この説発表当初の1960年代から、地質学に生じた一種のパラダイムシフトを受け入れてきたにも拘わらず、何故、日本の地質学者達は、1986年頃までの間、長年にわたってこれを拒絶してきたのか? そして、その後どのような過程を経て受容されてきたのか、その歴史を記述したのが本書である。

日本の地質学者たち(の一部)に拒絶されてきた理由としては、いろいろな要因が挙げられている。

マルクス主義の影響だとか、地学団体研究会「地団研」という地質学会の中に誕生した集団や研究室内のヒエラルキーだとか、日本の地質学が独自に構築してきた日本列島形成に関する学説(地向斜造山論)を守るためだとか、地質学は歴史法則主義的に理解されるべきだとの主張だとか・・・。

科学的な整合性の優劣を議論するよりも、科学の外にある事柄による理由からの拒絶だった・・・。


そうした理由が本当なら、私からしてみれば、それらは一種の宗教とか集団マインドコントロールとも受け取れるようなものだ。当時の雰囲気や匂いを知らない、今頃になって聞きかじった者が尤もらしく云えることではないかもしれないが、プレートテクトニクス否定論者たちが何を言っているのか殆んどわからない、理由とも云えないような理由ばかりだ。

要は、科学的な理由によるものではない、イデオロギーが優先されたとしか思えないようなことばかりだ。


一方、地球物理学者たちは、プレートテクトニクスをいち早く受け入れた。現実主義にのっとった、物理・化学的メカニズムを重視する学者たちだ。

本書には、当時の地質学者と地球物理学者の考え方の違いも描かれている。


科学と云えども、純粋に真理を追求できる部門はごくごく限られている。少なからず政治や社会状況から影響を受ける。

本書はそうしたことの極端な事例を紹介している。

原子力発電の可否や地震・津波災害を巡って論争の続く昨今、こうした本を読んでおくのもイイかもしれない。




さて、ここからは蛇足記事。


私がプレートテクトニクスを知ったのは、中学生か高校生の頃に創刊された科学雑誌Newtonによってだった。プレートテクトニクスという地球のダイナミックな動きの仕組みについて書かれた記事をワクワクしながら読んだことを覚えている。

初代編集長の竹内均(竹内は、早々にプレートテクトニクスを受け入れた地球物理学畑の学者だった)らによって世間一般にも広められたのだ。


雑誌Newtonが創刊されたのが1981年だそうだから、地質学者の中からプレートテクトニクス否定論者が実質上消滅した1986年以前、すでに世間一般にはプレートテクトニクスは知られていたことになる。

つまり、世間の一般人よりも、地質学者の方がプレートテクトニクスを受け入れるのが遅れた、ということになる。こうした事実には驚かされる。

私は1986年以前に大学に入り、地質学などの講義も受けたが、そういえばプレートテクトニクスの説明を聞いた覚えがないことに、今になって思い至った。当時の大学の地質学の講義ではプレートテクトニクスは教えていなかったのか?


私が所属した研究室はチョット変わったところで、建設工学の一分野の研究室であったにも係わらず、教授は地質学、正確には岩石鉱物学(?)を専門とする方だった。その教授は、本書にも幾度かその名前が登場していたが、プレートテクトニクス否定論者たちとは一線を画していたのだと知った(ただし、私が学生だった頃の「地質学」の講義は別の教授の受け持ちだった)。