『日本に古代はあったのか』 | 本だけ読んで暮らせたら

『日本に古代はあったのか』


『日本に古代はあったのか』  井上 章一/著、 角川選書(2008)


どこかの新聞の書評欄で、書名を見ただけで読みたくなった。書評自体も読んだが、その内容については既に忘れた。


歴史(時代)の区分の仕方に、古代、中世、近世、近代、といった分け方があるが、日本には有史以来、「古代」という区分はなかったのではないか、いきなり中世から始まるのではないか? といった問いが発せられている。

「古代」とか「中世」といった区分は世界史に合わせよう!と言うことらしい。


西洋史ではローマ帝国が解体し、ゲルマン諸族が旧帝国内に進入しだす頃をもって、古代と中世を区分しているらしい。それが5世紀の終わり頃(476年前後)ということになる。

ユーラシア大陸のもう一方の端っこの東アジアでは、秦や漢といった帝国の時代から、3世紀に漢帝国が崩壊して三国時代になる頃くらいから、古代と中世が区分されるのではないか、という。

ユーラシア大陸の東西で、並列的に歴史が転換してゆく。こういう歴史の捉え方を京都大学の偉い先生が最初に言い出したらしい。


一方、教科書的な日本史では、鎌倉幕府の成立、武士が世の中を統治する時代からが中世であり、それ以前を古代としているのだそうだ(そんなことさえ私は知らなかったが・・・)。

鎌倉幕府の成立が12世紀末。このように、日本史では古代と中世を区分する時期があまりにも中国史や西洋史と違いすぎる! ということらしい。

私には、それがどうしてダメなのかがイマイチ良く判らなかった・・・。


ともかく、この鎌倉幕府の成立ということが、日本史上画期的な出来事であったかのような捉え方が、著者には気に入らないらしい。鎌倉幕府の成立なんて大したことないゼ。それが凄いことだと言っているのは、明治になって首都も天皇も東京に移って、関東の学者たちが関東の優越さを吹聴するようになってからだぜ。ということらしい。京都大学を卒業した著者は、日本は平安時代をもって中世に突入する、という京大史学にシンパシーを感じているとのことだ。

そもそも、日本では3世紀頃から大和政権が成立していく過程だって、中国での漢帝国の滅亡が遠因となっているのだから、中国の歴史区分、つまりは漢帝国が滅亡した時期くらいと整合させるほうがいいだろう、そのあたりから中世という区分にするのが世界史的な枠組みでの見方だ。

・・・など、現在の教科書的な古代と中世の区分の仕方が何故気に入らないか、ということが延々と書かれている。


そこには、○○学派とか、△△史観とか、京都大学の□□教授がこういった歴史区分を最初に言ったとか、そうでなかったとか・・・、東北出身で東大で歴史学を学んだ◇◇教授は京都学派の提唱した○○○という説に否定的だとか、東大説vs京大説、関東史観vs関西史観など、そんな話ばかりがグダグダと続けられる。

歴史の区分をどのように決めるのか?ということが書かれているのかと興味をもって本書を取ったのに、あまりにもくだらない、どうでもいいような愚痴が延々と綴られているのにはマイッタ。

歴史・歴史学ってのは、未だに、東大説vs京大説、なんてことで盛り上がれるような、くだらネェ世界なのか?

こういうこと云ってるから、歴史は科学じゃない、って云われるんだろうネ。


久しぶりに読んでいて不快な本に出会った。こんな本は、ポイッだ!