『日本という方法』 | 本だけ読んで暮らせたら

『日本という方法』


『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』  松岡 正剛/著、 NHKブックス(2006)

この本、あの驚異の書評・評論・論考ブログ= 「千夜千冊」 を書き続ける松岡正剛氏の著作である。

松岡正剛氏の本を読むのは初めて。
以前から、この人の本を読んでみたいと考えていた。「千夜千冊」にみる圧倒的な知識を持つ人が、どのような本を書くのかに興味があった。たくさんの本を書かれているようだが、たまたま目に入ったこの本を手に取ってみた。

何らかの情報を得て、それを受け止める方法のことを全て “編集行為” と捉える。


日本の文化・歴史・政治・経済、書くこと話すこと・生きることを、“編集行為”として捉えることによって、日本を、日本人を、日本という方法を理解することを試みる・・・。


表紙の裏側に書かれていたことを要約すると、↑↑↑ このようなことになるようだ。


「なんて大層なことだ・・・。 こいつは、私には理解できないかも?」と、身構える。読む前から、途中で投げ出す用意をしている・・・。


Book Off モノならまだしも、新刊で買っちまったからには読まねば・・・、貧乏性な私は決然と歩を前に出す。 



・・・・・読み終わった。



簡易な文章で読みやすかった。内容に関しても、読んでいるその場では判ったつもりで、結構面白く感じられた。

しかし、思い返してみても内容を要約できない。松岡氏が述べていたことの1/10も思い出せない。その場では判ったつもりだったが、誰かに説明してみろ、と言われても他人に説明することが出来ない。

・・・ってことは、理解できていないってコトだ。


ん~っ、日本思想史・・・・・ってところなのかな??



松岡氏は、この本のサブタイトルにもあるように、日本とは面影の国であり、うつろいの国であると云う・・・・・・。

ウツ(空)とウツツ(現)をウツロイ(移ろい)が結ぶ文化。それが、ワビ・サビの感覚の発見に繋がり、無常観を醸成する・・・。


同様の意味なのかもしれないが、松岡氏は、ヨーロッパの哲学や宗教が基本的に “二項対立” を前提にしているのに対して、日本では “二項同体” であるとも、“多義集合的な文化”であるとも云う・・・・・。

互いに異なる特色を持ち、対立や対比を有する事物であっても、一方だけを選択しないで両方あるいはいくつかの特色を併存させてしまう。 和と漢、和と洋、神道と仏教、王政復古と欧化体制、・・・・・・


↑↑ これらのことは、今現在の日本の状況や日常の私の周りの事柄に鑑みても、なんとなく納得できることである。


松岡氏は、これら以外にも様々な「日本という方法」を紹介してくれる。

“外来コードを使って内生モードを作り出す” とか・・・・・・・、“日本には古より今に至るまで哲学なし” とか・・・・・・、いろいろと印象に残る言葉だ・・・・・。


と、マ~、頭の中に残っているのは、ほんとに僅かで断片的な言葉と文節だけだ。

本書全体を通して松岡氏が主張していたことが何だったのか? 私には、連続した記憶として残っているものが無い。


“思索”とか“哲学”っぽいコトって、私の頭には入りにくい。こればっかりは昔っからのことで、どうしようもない。

どうしても理解したいなら、もう一度か二度読む必要がある??


しばらく熟成させてから(積んどいてから)、もう一度・・・・・読まネ~だろうナ!?きっと!