『法隆寺の謎を解く』
武澤 秀一/著、 ちくま新書
建築家の書いた法隆寺の謎解き本。
法隆寺というのは、厩戸皇子が存命中に建てられた“創建法隆寺”と、厩戸皇子が亡くなった後、この創建法隆寺が焼失した後に建てられ、現存する“再建法隆寺”があり、謎解きの対象となっているのは、もちろん現存する“再建法隆寺”の方である。
寺の聖域に入る門、これを中門と云うらしいが、通常この中門には、太い円柱によって区分された奇数の間があるらしい。3間とか、5間とか・・・。つまり、真ん中にひとつ柱間があって、さらにその左右に1つづつ、もしくは2つづつの柱間がある、ということになる。真ん中の柱間が入り口ということになる。
ところが、法隆寺の中門の場合は、この真ん中に柱が立っており、左右対称の4間の柱間が存在する。こんな造りの中門は他になく、法隆寺だけが持つ特徴ということになる。
【 法隆寺の西域伽藍の平面配置 】
I---------------------------------------I
I I
I I 周
I I--------------I I 囲
I I--------I I I I は
I I I I I I
I I I I I I 回
I I 塔 I I 金 堂 I I 廊
I I I I I I が
I I I I I I
I I--------I I I I 取
I I--------------I I り
I I 巻
I I い
I 中 門 I て
I I--------------------I I い
I---------------I o o o o o I---------------I る
I--------------I o o o o o I---------------I
I--------------------I
( ↑ 真ん中に柱が立つ)
この中門の真ん中の柱の存在が意味するところ、そして、つまるところ法隆寺の存在そのものが謎であり、昔から、この謎についていろいろな学者や在野の考古学ファン、寺社建築ファンが議論を重ねてきたらしい。
この謎解きに挑戦した、一般人向けの有名な書籍として、梅原猛氏著作の 『隠された十字架』 がある。かつて、私もこの本には夢中にさせられた。
法隆寺の中門の真ん中にある柱は、怨霊の侵入を防ぐためのものであり、法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮魂するための寺であるとする、 『隠された十字架』 説が一世を風靡し、一方、歴史学関係の学会からは猛反発にあったらしい。ちなみに、現在では、この 『隠された十字架』 説は、その議論の仮定に大きな誤解のあることが判り、“異説”とされているらしい。しかし、この『隠された十字架』 における怨霊鎮魂説は、その後、幾多の作家・作品に影響を与えている。
さて、この作品 『法隆寺の謎を解く』 であるが・・・、
法隆寺が再建された前後に構築された他の寺との類似性や、反対に、法隆寺の特殊性・特異性を論考しながら、塔、金堂、中門、回廊などの構築物(伽藍という)の配置やそれらが成す空間といったものの解釈を通して、当時の‘寺院を建てるという行為’に込められた意志を読み解いてみよう、そして、そこから法隆寺の謎を解いてみよう、という試みをしている。
前半部、仏教発祥の地インドにおける “祈る” というオリジナルの行為、行動形式、彼の地の仏教寺院の構造様式などを鑑みて、法隆寺の中門の真ん中にある柱が意味するところを推理するところまでは良かった!!
しかし、中段以降・・・、建築家が時折迷い込む(?)空間認識論に偏りすぎており、あまりにも主観的な解釈を披露しすぎているように思えた。
私には、空間や建物と自然との融合、などといったヒトの感性に関する話はあまり規則性や一般性を有しているようには思えない。まして、1300年以上も昔の人達の空間認識論なんて持ち出されたりしても、根拠があるようには思えない。日本人が太古から持つ空間の美意識が繁栄されている、などと云われてもあまりピンとこないのである。
無粋で、繊細な感性を持たない私にはあまり良い本ではなかった・・・。
- 梅原 猛
- 隠された十字架―法隆寺論