『蜘蛛の巣のなかへ』 | 本だけ読んで暮らせたら

『蜘蛛の巣のなかへ』

蜘蛛の巣のなかへ

 トマス・H・クック/著、村松潔/訳、文春文庫



二十数年前に故郷の田舎町を捨てた主人公ロイ・スレーターは、肝臓癌で余命いくばくも無い父の最期を看取るために戻ってきた。父には自分の他に家族はいなかったからだ。

故郷を捨てる直前、殺人を犯して牢獄で自殺した弟。そのことを苦にして後を追う様に病死した母。そして、ロイの前からは恋人も去っていった・・・。



ロイは思い出す。仲の良かった弟と故郷から逃げ出した晩のことや、故郷から抜け出すために大学に進み、卒業後は恋人を迎えに来ようと思っていたこと、など・・・、そして何よりも家族に対して冷たかった父親のこと・・・。

父のジェシー・スレーターは、ロイが子供の頃から、いや、その前からいつも不機嫌だった。一生を不機嫌なまま生きているかのようだった。



故郷に帰ったロイは、ふとしたことで、かつての同級生で今は保安官を務めるロニー・ポーターフィールドに会う。また、彼の父親で、弟の事件の捜査を行った前の保安官ウォレス・ポーターフィールドとも・・・。

そして、次第に、あの二十数年前の出来事、弟が起こしたとされる殺人、父親の過去、町を支配する保安官、ロイに別れを告げたかつての恋人の想い・・・、様々な謎に関与していくことになる。





この作家の書く作品は、大抵の場合、重苦しい感じというのか、焦燥感というのか、プレッシャーというのか、そういう感覚(巧く表現できません)を読者に(私に)抱かせます。特に作品の導入部から後半部にかけて、この感覚が強く作用します。

数十年前の出来事にまつわる謎が登場人物たちに暗い影を落としており、それぞれの人物が長年に渡って何かしらの傷を負っている、というのがこの作者の書く作品の多くに共通した設定となっています。

実は登場人物の誰もが真相を知っていて、知らないのは主人公と読者(私)だけ、というような錯覚を持つこともあります。作品の中に立ち込めている独特の雰囲気がページをめくる手の動きを早めます。



ただ、主人公が真相に至る過程は作品によって若干異なるような気がします。

特に最近の作品が変わってきた?のかもしれません。



少し前の『記憶4部作』と呼ばれている作品では、物語の後半部からクライマックスに至る速度は比較的ゆっくりしており、真相は静かに開示されていく・・・、といった構成を採っていたように思います。謎が解明された後も、大抵の場合、主人公やその周りの人物たちに平穏が訪れることもなく、エンディングは主人公あるいは読者に何か考えさせるものを残しながらフェイドアウトしていきます。



一方、この作品ですが・・・、

物語の導入部から後半部までは、これまでの作品と同様の雰囲気で、ドンヨリした雰囲気を醸し出しながら進行していきます。特に、主人公に対する父親の不機嫌な態度と、その父親の態度に対する主人公のシニカルな対応、過去に一家に起きた不幸が、ドンヨリ感を強調しています。

しかし、クライマックスではこのドンヨリ感が一転します。これまでの作品には見られなかったほどの展開の速さで真相が明らかになっていきます。

エンディングもなんとなく明るい将来を予感させて、物語が閉じられます。



この作者独特のドンヨリ感に堪えられない、結末がハッピーエンドじゃない、と言って、この作家を敬遠する人も私の周りにはいます。好き嫌いの分れる作家かもしれません。

しかし、ストーリー・テリングは間違いなく一流です。

私はいつも一気読みです。