「古墳とヤマト政権 古代国家はいかに形成されたか」

著者: 白石 太一郎
タイトル: 古墳とヤマト政権―古代国家はいかに形成されたか
「古墳とヤマト政権 古代国家はいかに形成されたか」 白石太一郎、文春新書
邪馬台国の所在をめぐる諸説にあって、白石さんの“解釈”は畿内説、しかも大和川流域という非常に具体的な地点に行き着きます。
その理由として、
■年輪年代法(樹木の年輪幅のパターン分析から遺跡発見の樹木の伐採年代を特定する方法)や三角縁神獣鏡の編年研究の成果から、最古の古墳の出現は3世紀半ばごろになるとのこと、
■この最古の古墳の1つと考えられる箸墓古墳(卑弥呼に関係する?とも云われている古墳)が畿内南の大和川流域にあること、
■この地の前面には東アジア世界につながる瀬戸内海という海上交通の大動脈を有すること、
■後方には広大な東日本を抱える地理的な優位性があること、
を挙げています。
そして、この地における前方後円墳の変遷を分析し、邪馬台国連合が初期ヤマト連合に繋がること、
この後、王墓(巨大な前方後円墳)の所在地が移動し、それが王朝・王権の交代を意味すること、
5世紀後半に、ヤマトを除く日本各地から大型古墳が消失すること、それが意味するヤマトへの権威集中化やヤマト政権の変遷、
などなどを経て、
6世紀末から7世紀初頭に各地の前方後円墳の造営が停止されること、それがヤマト政権の地方支配・中央集権化(国造の設置)を意味すること、
7世紀半ばの大王墓の八角墳化、そして、壬申の乱後の古墳造営の終息。
古墳の変遷を細かく辿ることで、日本列島における古代国家形成の各段階や過程と対応させることができる。ん~、おもしろい。
そこには、当然、想像や推測も入っていますけど・・・
古代史関連の本を読むことと、ミステリーを読むことは、ほとんど同じです。