9月は両園の運動会の月です。1975年2月に開園した大谷地たかだ保育園は毎年の運動会を保育文化として位置付けてきました。開園当初は、曲に合わせて両手にスズランテープを細かくして創った色とりどりのぼんぼりを振って踊ったていました。そのような体験を経て保育者のなかに「何か」を求める力動が生じてきました。子どもは成長のなかで歩行から走行へと変化していきます。かけっこはこの子どもたちの「走りたい」という願いに根ざしているものです。4歳以降の子どもたちは手足を協調させてからだを駆使するようになります。跳び箱で構成したものが生まれました。子どもは「より高く」を期待するものですが、当時さくらさくらぼ保育園(記憶が定かでないのですが)の運動会実践記録に立てた板を子どもが飛び越すという「どえらい」ものがあり衝撃を受けましたが、それにヒントを得て具体化したのが「登り棒」です。そして民舞との出会いがあり、各地(道内・東北)に伝承している踊りや太鼓を子どもたちと共に作るという挑戦が続いてきました。南郷通たかだ保育園は大谷地たかだ保育園で培ってきた運動機能面を重視した保育文化そのままを位置付けることは環境上から無理がありましたので、小規模園であることの利点を生かした運動会の在り方を模索してきました。一方で子どもの個々のなかに、高く跳びたいという気持ちや太鼓に響いてみんなで踊りたいという「憧れ」が生じてきます。両園の交流の背景がもちろんありますが、子どもの「素」にあるものであるから「志向」が生じていると思ったりしています。乳幼児期の子どもたちの(運動的な)保育文化のあり様を探りながら半世紀になろうとしていますが、他方で自らが子ども期に体験してきた「日常とはことなるハレ」としての「祭り」的運動会のあり様も探ってきたと言えます。いま小学校の運動会午前終了がスタンダードになっています。騒音苦情も絶えません。子どもの様々な生活・遊び分化が縮小されていることを危惧しています。炭鉱町の運動会はほんとうに「ハレ」の日で、町全体がなにかせわしなくざわついていて、でも楽しむ「輪」があったように思い出します。もちろん懐古的な感傷はさけなければなりませんが、振り返るととても大事な時間であったなと思います。ひまわり会と協働で保護者競技(祖父母も一緒に)を大事にしてきたのも、そんな体験を重ねてきたであろう保護者の理解があってのことです。しかし、保育者のなかには様々な学校環境の変化(制約)のなかで学生時代を過ごしてきた人も増えつつあり、体験そのものに多様さがあります。運動会の取り組みの今後の課題です。