新年度が始まり、子どもたちがじっとしてられません。両保育園の年長さんは毎年、鯉のぼり制作に取り組むのが新年度まもない4月です。当園のにじGの鯉のぼりが出来上がり、最後は両目の目を入れますが、新園長と旧園長がそれぞれ片目ずつ黒く大きな目を描き入れました。当園の子どもたちは鯉を見るために白石神社を詣でます。神社境内に頃合いの良い池があり、そこに鯉が泳いでいます。今は、自宅で金魚を飼っているご家庭はたぶん少なく、ましてや「鯉」です。きょうだい園が「荒馬」に取り組み始めた頃、
「馬ってどんなもの?」という素朴な疑問から、北大農学部の「馬」を観察に出かけたり。こんなに「馬」ってデカかったという印象は子どもたちの踊りに投影したと当時、思いました。4月に入ると日本各地、道内各地で鯉のぼりが空を舞います。定山渓でたくさんの鯉のぼりが泳いでいる風景は圧巻です(実物は見たことは無いものの)。保育活動には「空」を思う、「空」を見上げる、そして「山」に登る、など子どもは自分が立っている・座しているところから「うえ」を求めて仕草や行動をします。座位を獲得した乳児が保育生活のなかでなにかの折に「片手」を差し伸べることがよくあります。多くは子どもの視線の先に保育者がいるのですが、
この子どもの仕草は目の前の保育者を介して「高み」を目指す姿と理解することも可能です。この子どもの始原的な仕草は、大きく成長するなかで「登山」・「グライダー」・「飛行機」はては宇宙への挑戦へと連なるものと見ることもできるかも知れません。鯉のぼりをつくり、空に舞うのを喜びあう子どもたちの視線の先には、物理的・心理的な「高み」への挑戦がある。そう考えてみたいのです。もちろん、日本の伝承文化特に児童文化(親が子どもを見守り未来に希望を託そうとするヒトの営為としての意味合いが大きいのですが)の視点も大事なことです。かって庶民の生活にあって次第に消失した(するかもしれない)文化の数々を保育園だからこそ実現し継承できると考えています。そういえば、きょうだい園の「登り棒」はいろいろ理屈はあるのですが、子どもの「上を向いて」の心が原初だろうと思います。当園の「戸板」も同様。大人になると「上を向いて」はかなり実利的な意味合いが強くなり、軋轢の原因になることも。子どもの今だからこそ、真水のような気持ち(心構え)として「上を向いて」を大事にしたい、です。(4/20.K)