別居は結婚生活が3年を過ぎた頃に起こった。子供は1歳になったばかりで本当に目に入れても痛くないほど可愛い時期だった。別居の主の原因は生活の不一致と理解している。妻からするとモラハラ、暴力、暴言などが理由ともなっている。不倫、ギャンブル、無関心も厄介であるが、生活の不一致もかなり厄介であった。特に30歳前半の経験少ない夫婦には毎日揉める種となる。私の生活は堅実、几帳面、時間厳守、努力がベースとなっている。妻は貯金、整理整頓、時間厳守ができない、努力も好きじゃない一方で、料理上手で、浮気の心配のない真面目な性格である。今振り返ってみても、一致している部分がほぼない限りである。特に厄介な不一致が整理整頓と時間管理である。何故整理整頓した所を汚してそのまま放置できるのか、冷蔵庫に腐った物をそのままにしておけるのか、当たり前のように遅刻をされることが許せなかったし、何故何度も繰り返すのか理解ができなかった。また、妻は相手の意見に理解を示すことが得意でなく、考えが違うと、まずは否定の言葉が返ってくる。まずは相手の意見に理解を示した後、自分の意見を言うことを進めたができなかった。妻からすれば私も相手の意見に理解を示さないと感じていたのかもしれない。このような生活習慣の違いが結婚当初から永遠と続き、口うるさくなる自分、両親のしつけに問題があるとか、怒鳴り声もあげるようになり、楽な生活をしたいなら出ていけと言ってしまう、しまいにはマンションから追い出そうとして、故意ではないが、結果ケガを負わせたこともある。言い訳だが、私も我慢の限界だった。妻の土日の過ごし方は昼過ぎまで寝て、起きれば録画のビデオをつける、活動は夕方からという昼と夜が逆転した生活。その間は私は朝起きて、掃除、ゴミ出し、運動、仕事を行っていた。その一方で、私の両親が来るときは部屋を整え、早朝に起きて掃除、朝ごはんの準備、手土産の準備など完璧の妻を演じる。両親へ最高の接待をしてくれたのはとても感謝している。当時の私にはこの性格の不一致を上手に乗りこなせる力がなかった。怒りの感情が全面に出てしまった。正直今でもこの性格不一致をコントロールできるとは思わない。できることは、生活スタイルや考え方の違う女性とは一緒にならないという結論だ。このような言い争い、喧嘩が頻繁に起こり、互いに相手への愛情は薄れ、憎しみの感情が増幅していったように思う。お互い限界だった。後は別居に踏み切るきっかけを待っていたように思う。遂に妻は一歳の子供を連れて実家に帰ることを決意した。妻の父とも話し合いをしたが、妻を一旦実家に帰らせるとの回答だった。ここから別居生活、子供との面会の交渉、調停、婚姻費用の負担による生活苦などが始まった。次回は、別居、調停、裁判中の内容を書いていく。