私には、ずっと母が我慢して家に居るように見えていた。出て行ってくれたら、どんなに嬉しかっただろう。まだ私が小さい頃、一度、父とケンカして、帰って来なかったことがあった。暗くなっても、帰って来なくて、100メートル先くらいにある仕事場まで1人で見に行った。真っ暗で、暗くて、すごく怖かった。母は居なくて、何処に居るのか心配だった。その後の記憶がないんだけど、多分帰って来たんだと思う。年に1,2度、父が1週間くらい、ふて寝する大きいケンカがあるんだけど、一度も出ていかなかった。その間は、すごく嫌で、父にご飯を持っていかされるのが、1番嫌だった。高校生の頃、妹が大きくなったら出て行こう、みたいな事を言った時、すごく嬉しかった。でも出て行かず、子供が皆、大きくなっても出て行かず。要するに口だけだ。出て行くつもりはない。中3の正月、大喧嘩になって、最悪の元旦を過ごした。私は高校受験だから、本当なら豊川稲荷に、皆でお詣りに行くのだ。でも、父がふて寝してるから、クルマないからいけず、母と娘3人で栄まで電車で行き、なんか街中のちっこい神社にお願いした。あんなに寂しい正月はなかった。時々思い出して、栄の神社を探すも見つからず。
母は、子供のせいにしたけど、勇気がなかったのか、実家に甘えれなかったのか、まぁどっちもだな。しゅんとしないで、一度ぐらい家出して欲しかったと思う。
だから、私はフランスの家を出たのかもしれない。我慢を、子供のせいにしたくなかった。
我慢をしていたのは、自分の為で、子供の為ではなかった。自分がかわいいからだ。世間の目や、経済的な理由。子供を理由にするのは、間違っている。私はいつか子供と再会する時、笑顔で「ごめんなさい、ママすごく辛くて、我慢してて、大好きだったパパとも、上手くいかなくて。すごく辛かったから、だから離れたの。」そんな風に言いたい。ブルーハーツのラブレター聞いてたら出てきた気持ち。