32年間、関西の読売テレビと言う

報道機関で働きました。


夕方のニュース番組では

9年弱ニュースキャスターを担当し、

様々な事件や事故、災害の現場で自ら取材をして

生のニュースをお伝えして来ました。




長きにわたり報道の現場に身を置いて

切に感じたのは

『事実は一つだけれど、

 真実は、人の数だけある。』

という事です。




ある日、

京都から火事のニュースが飛び込んで来ました。


焼け跡から80代女性の遺体が発見されましたが、

足首には小型犬用の鎖が付いていて

女性は部屋から出られないようになっていたという事でした。


とても辛いニュースでした。


高齢女性は虐待をされていたのでしょうか。

新聞にも同じニュースが載りました。


テレビのニュースは短い枠。

新聞も小さな欄でしたので

情報はそれしか分かりませんでした。




しかし、その後、

この火事を詳しく取材した記者から

たまたま話を聞くことが出来ました。


高齢女性には息子さんがいらっしゃいました。

仲の良い親子で二人暮らし。

でも、お母さんはアルツハイマーで

分からないことが

少しずつ増えて行ったと言います。


ある日、息子さんの職場に

お母さんが徘徊している、迎えに来て欲しい、

そんな連絡が入るようになりました。

鍵を変えたり工夫もしましたが、

お母さんは鍵を開けてフラフラ出かけてしまいます。

近所の人にもお願いしますが、毎日は無理です。


何度も仕事中に連絡があり

息子さんは職場での立場も悪くなりました。

息子さん自身もお母さんのことが心配で

仕事が手につかなくなりました。


息子さんは何ヶ月も悩みました。

でも、ある日、とうとう、

お母さんの手を紐で縛ることにしました。

長い紐なので家の中では自由に動けましたが、

お母さんは紐を解いてしまいます。


息子さんは心配で仕事に行けなくなりました。

でも、お母さんを養うために

働かなくてはなりません。


泣く泣く、

小型犬用の鎖を使うようになりました。

息子さんは、朝、仕事に出かけると昼には家に帰り

お母さんに昼ご飯を作って食べさせ、

また会社に戻る生活になりました。


大変な生活でしたが

ギリギリ頑張っていたのです。


ところが…

息子さんが仕事に戻ったあと近所の家から失火。

家に燃え移りました。


息子さんの悲しみは

言葉に尽くせないほどでした。




当初、入って来た火事のニュースからは

想像の出来ない真実がそこにはありました。


事実としては…

家事があり

高齢女性が遺体で見つかり

鎖に繋がれていた。

そのことに変わりはありません。


でも、

息子さんから見た真実は

全然、違うものでした。


とは言え、

それは息子さんから見た真実です。


もしかしたら、

お母さんから見たら、

また別の違う真実が見えるかもしれません。


或いは、

近所の人から見たら、

目に映る真実は異なるのかもしれません。


そして、

介護の現場に居る人から見たら

また違う側面があるのかもしれません。




事実は

淡々としたものです。


でも、

真実は、

それを捉える人の想いや環境によって

千差万別。

判断する人の数だけ真実はある。

そう思えてならなくなりました。




淡々とした事実に存在する数多の真実。

ニュースを伝え続けて思ったのは、

まず最初にそのニュースに触れる私たちは

決して、

勝手に真実を決め込まないようにすることです。


私たち、報道の現場の者は

淡々と事実のみを伝えることに徹しなければなりません。


そして偏りなく伝えること。

数ある事実から

伝えることを抜粋することで

同じニュースでも見え方が大きく変わるのです。




伝え方によって見え方が変わること。

事実と真実が同じであるとは限らないこと。

伝えられる事実によって簡単に真実は変わってしまうこと。


そんな…

報道の現場で胸に刻まれたことを胸に、

私も、

今は家でニュースを見る立場になりました。