数年前、車椅子の姉と出掛けた東京の街。
まだまだバリアフリーとは言い難く
様々な壁にぶつかりました。
ちょっとした段差や、
遠くに設置されたエレベーターに乗るため
遠回りを余儀なくされる建物の構造など、
「物理的な障壁」。
電車に乗る時も
時間がかかってしまって困っている最中、
聞こえて来る舌打ちの音。
病院の予約に間に合わせるため
ラッシュ時に車椅子で乗る電車の中、
「なんで、この時間の電車に乗るんだよ」と言う
刺さるような視線。
心ない人や、
人の無意識の行動によって感じる
「精神的なハードル」。
辛い状況を強いられながらも
周りの人に気を遣い続け、謝り続ける姉。
『お姉ちゃん、
車椅子の人だって電車に乗る権利や
お店で買い物を楽しむ権利があるんだから
そんなに遠慮することなんてないよ!
堂々としていたら良いんだよ!』
何度も姉に言ったものです。
でも。。。
違ったんです。
ここ数年、
私は重度の喘息で24時間、咳が止まらず…
ある日、とうとう、
咳のし過ぎで背中と胸の筋肉、そして腹筋に
激しい痛みが生じるようになってしまいました。
咳どころではなく息をする度に
身体中を鋭い針で刺されるような痛みが走り、
歩けなくなったことがあるんです。
とは言え、
喘息の治療のため病院や
生活するのに買い物、
もちろん働きにも行かなくてはなりません。
周りの人は普通に元気で歩いているのに、
自分は一歩足を前に進めることもままならず、
よろよろしては立ち止まります。
そんな時、
人と同じことが出来ない自分が情けなくて。
人に迷惑をかけている気がして
悲しくて
堂々となんか出来なかったんです。
ごめんね。
お姉ちゃんの見ていた景色は
こんなに辛かったんだね。
車椅子を使う皆さんの気持ち。
姉と歩くだけで分かっているつもりでした。
でも自分が歩けなくなって
初めて分かったんです。
バリアフリーだけでは足りないのではないかと…
『物理的な障壁』とともに
『精神的な壁』も
意識して取り払わなければならないんだと。
自分がその人の立場になって
もっと心を寄せて手を差し伸べる必要があるんだと
強く感じたのです。
いよいよ
東京2020パラリンピックが始まります。
沢山の感動、名場面に出会うのが本当に楽しみです。
そして
パラリンピックが
自分とは違う誰かの立場になって
世の中を見るキッカケになったら、とても嬉しいです。