今から15年前の8月12日。
父、植村猶行が亡くなりました。
享年81。
膵臓癌でした。
このブログを書くため
Google検索したら…
父が書いた本、プロデュースした本、
父が研究し生み出したベゴニアの新しい品種の数々、
父が残したものが沢山、出てきて
ウルウルして
画面が見えなくなりました。
父が作り
イタリアの「花の博覧会」で発表した
私の名前『Naomi』がついた
八重咲きのベゴニアも出てきました。
ほとんど一緒に過ごした時間のない父でしたが
作った新品種に
私の名前を付けてくれたことが
幼い頃からの唯一の自慢です。
亡くなった後、
アメリカの椿の研究所から
父宛の仕事の手紙が来たのを見て
胸が締め付けられました。
もっと仕事がしたかったに違いない…。
大正生まれ。
陸軍士官学校を出て
第二次世界大戦では戦地に行った人です。
ふんどししか履いたことのない人でした。
病院には当時の戦友が集まって下さいました。
『貴様!病気になんか負けるな。
また一緒にあの日の話をしよう!』
病室に
同期の桜🌸が咲きました。
仕事一筋。
夏の旅行も、
ディズニーランドも、
一緒に行くハズだった父の姿はありません。
急に入った植物の取材。
家族のことより仕事が優先される人でした。
それだけ
仕事が楽しかったのだと思います。
そんな父の背中を見て育った私も
仕事第一主義。
似ています。
会社を早くに辞めて
植物の研究に没頭し
学校で若い皆さんに教えることに専念しました。
父にとっては
幸せな日々だったと思います。
最後の言葉は
「なおみ君、ちょっと万年筆を取ってくれる?」
病室のベッドの上でも
原稿を書き続けていました。
テレビに映る
満開の赤い百日紅に頰をゆるませながら…。
翌日の未明に
容体が急変。
苦しむ時間は少なかったと思います。
8月12日。
有明の癌研病院から
練馬の自宅まで父は帰りました。
最後に彼が見た
真っ赤な満開の百日紅が
街の街道のあちこちで見送ってくれました。