よくTVでも「今日は何の日?」なんてやっていますが、来る5月27日は何の日
か皆さんご存知ですか?
敗戦までは「海軍記念日」だったのです。この日に海軍に関係するなにが
あったのでしょうか。
「坂の上の雲」などをお読みの方ならもうおわかりですね。そう、この日は
日露戦争の勝敗を決定づけた「日本海海戦」が行われた日です。
当時世界最強との触れ込みだったロシアのバルチック艦隊を東郷平八郎元帥
率いる連合艦隊が迎え撃ち、ほぼ全滅に近いかたちで完勝をおさめた日です。
偶然に勝ったわけではありません。秋山真之参謀の戦前からの戦術研究から
生まれた所謂「丁字戦法」、下瀬火薬・伊集院信管の開発、砲手が個々に照準
するのではなく、司令部で照準を合わせる「一斉打ち方(だったかな?)」の採
用、当時のロシアの驚異を国難と捉え、国全体が一丸となって勝利のために
努力し、身を削るような忍耐の下で得た勝利であったわけです。
この後、軍部の暴走が始まり、敗戦→現在に至る ことを考えれば、この頃が
日本が国家とした正しく経営されていた最後の時代 と言えるかもしれません。
さて、この対ロシア戦に突入することを決定した有名な会議が行われた場所が
京都南禅寺別荘群界隈にある「無鄰菴」です。
*正確には日露開戦を決定したのは当然ながら御前会議なのですが、
表現のアヤというとこで・・・。
無鄰菴は、長州出身の元老 山県有朋の別邸です。山県自身大きな戦功はな
いのですが、陸の長州閥の長として権力闘争の合間を生きるのは長けていた
そうで、むしろ作庭の名人との面が取り沙汰される人です。
この庭園も山県が七代目小川治兵衛(植治)に命じて作らせた、東山を借景と
した池泉回遊式庭園です。琵琶湖疎水の水流も引きこんでおります。
東山との一体感を考えて作られた庭、枯山水や後世の重森三玲の庭とも
違う趣があります。
菴内に洋館があり、ここで先述の無鄰菴会議が行われました。何故か洋館の
写真残ってないんだよなー(ノД`)シクシク。会議が行われた部屋に入ったとき、
まさに歴史の舞台の一幕に同席しているような錯覚を覚えました。
恐らく南禅寺等近隣の寺社ほどは混んでいません。単に庭園鑑賞するだけ
でもいいでしょうし、歴史ファンなら「ここに伊藤博文が座ってたのかぁ」「山県と
どんな議論を交わしたんだろう」などど萌の妄想に浸れます。
書いてたら気分が高揚してきた。もっかい坂の上の雲よもっと(^^。