昔、こんな都市伝説を聞いたことがある。
「嵐山のボートにカップルで乗ると、そのカップルは別れる」
一体誰が言い出したのでしょうか。川沿いを歩いたり、甘味や湯豆腐を一緒に
食べたり、嵐山は絶好のデートスポットだと思うのですが。
京都が好きになり、いろいろ勉強?していくうちに「多分そうだからだろな」と
思ったことがある。全くの勝手解釈だが、嵐山には悲恋伝説が伝わるスポットが
多くあり、いわば「悲恋パワースポット」の体をなしているのだ。以下、各スポット
を羅列してみよう。
①小督塚
渡月橋の北詰を川沿いに少し行ったところにある。平家物語ゆかりの塚。
高倉天皇の寵愛を受けていた小督の局という女性がいらっしゃったが、高倉
天皇の妻はあの平清盛の娘徳子。天皇家と平氏の結びつきを重視していた
清盛に小督の局はうとまれ、嵯峨野に身を隠してしまいます。高倉帝の命を
受けた源仲国が小督の局を探すべく嵯峨野へ。小督の局が奏でる琴の音に
笛で答える仲国(小督の局は琴の名手)。ようやく連れ戻すも再び清盛に
睨まれ、出家させられてしまう。お塚だけでなく近くには「琴きき橋」なるものも
あり。こちらの逸話からおそらく名前を取られた「琴きき茶屋」なるお店もあり。
②滝口寺
こちらも平家物語より。宮中警護の武士 斉藤時頼は建礼門院に仕えた
横笛という女性と両想いになります。しかし身分違いのため恋は成就せず、
時頼は出家して滝口入道となってしまいます。悲しみに暮れ、時頼に会いに行く
横笛。しかし時頼は想いを振り切るべく会わずに追い返してしまいます。
絶望した横笛もまた出家した。もしくは大堰川に身を投げたとも・・・。
③祇王寺
こちらも平家物語ゆかりのお寺。
評判の白拍子であった祇王は清盛の面前で舞を舞う機会を得ます。
祇王の舞に心奪われる清盛。以後、妹の祇女・母(とじ だったけな)と共に
清盛の寵愛を受けることに。その話を聞いた加賀の国の白拍子、仏御前は
ならば私もと清盛の前で舞を披露。以後、清盛は仏御前に心変わりしてしまい、
祇王・祇女・とじは悲しみ、出家してしまいます。後日、念仏に明け暮れる3人を
仏御前が訪れます。「女の悲しみ」を共感した4人はそろって出家し、以後
色恋沙汰とは無縁の生活を送ります。(ひどい目にあったにも関わらず、4人は
清盛には感謝の気持ちもあり、祇王寺には清盛の像もあります)
④直指庵
嵐山より少し外れるが、ここはかつて悩み多き女性の「駆け込み寺」として
有名であった。今では、心の中を打ち明けるべく「想い出草」なるノートが
置かれており、様々な想いが綴られている。また境内には水子地蔵尊もあり、
やはりここも悲恋にあふれた場所といえるだろう。
如何ですか。他にもあるかもしれませんね。このような悲恋伝説が冒頭の
都市伝説に結びついたのかもしれませんね。
嵐山でデートされる方々、伝説に打ち勝ってお幸せにどうぞ。
⑤(番外編)美空ひばり館
渡月橋をちょっと北に行ったところにあります。
そういえば美空ひばりも、小林旭との結婚・離婚、家族との確執等、「愛」に
恵まれなかったですね・・・。