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最近はタレントとしてより、母校戸板女子短大の客員教授や一億総活躍国民会議(名前長ーよ!)の民間議員という「文化人」としての活動が目立つ、菊池桃子氏の半生記。
私が青春時代に、唯一恋愛感情に近いものを抱いたアイドルが菊池桃子であった。それまで松田聖子や石川秀美などに憧れることはあったが、それはあくまでもマスメディアで提供される、彼女らの姿をフィクションの一つとして楽しんでいただけで、彼女らを自分の「カノジョ」と認識することはなかった。しかし菊池桃子に関しては、ほんの一瞬だったが、片思いの切なさを感じてしまったのだ。まあ、その切なさを感じた、まさにその次の瞬間には、理性が「彼女もメディアに提供された一種の幻影に過ぎぬのだ」という警告を発し、私の感情もその冷静さを受け入れたために実物の菊池桃子を追いかけるような事態には至らなかったが…。『もう逢えないかもしれない』という曲は、今でも当時の青臭い切なさを思い起こさせる。
15歳で芸能界デビューした彼女の、いわゆるアイドルとしての絶頂期は早くも10代で終わりを告げた。その後は、すべりウケを狙ったギャグをちりばめたものの、そのすべてがダダすべりしていただけという伝説のドラマ『恋はハイホー!』に主演してみたり、彼女の人生の基盤をすべて崩落させてしまったロックバンド「ラ・ムー」での活動といった迷走を続けながらも、しぶとく芸能界を生き抜いたという印象がある。そして結婚、出産、離婚といった大きなライフイベントを経て、長女の障害という問題を抱えながらも「文化人」として新境地に挑んでいる現在に至るのである。
彼女は人生の様々な経験の他、法政大学でキャリア形成と雇用について学び、きちんと修士号も取得している。この本も様々な人の手を経ているとは思うが、言いたいことが簡潔に、実例を交えながら述べられており、好感の持てる文章で更生されている。読了後、彼女の述べていた手法を用いて自分自身のキャリアの来し方行く末について、真面目に考えざるをえなくなっていた。アイドルという「チャラチャラした存在」が前歴であるだけに、どうしても色眼鏡で見てしまうのだが、彼女の場合は、自分の主張を如何に効果的に表現するか、という部分にアイドル時代に培ったであろう「表現力」を見事に活かしている。彼女の半生そのものが「人生において無駄な体験など一つもない」という言葉を表しているようだ。
彼女は単なる「人寄せパンダ」ではなく、一億総活躍国民会議の民間議員にふさわしい、「実力」の持ち主であるように思う。「有識者」の一人として、有益な提言を行ってくれることを期待したい。
