絵を描くことが好きで、美大に行って美術教師になりたいとぼんやり思っていたわたし


自分の周り基準の普通に従って、何も疑うことなく適度な公立高校に進学した



その学校は入学早々に実力テストがあった

そこでわたしは英語で学年4位クラス1位の成績を取る


1年生の担任の先生は感じの良い女性で、英語の先生だった

テスト後の面談で

「あなたは英語を生かして〇〇大学の英米科を目指してみては?」

と提案された


しかし、それはわたしの進みたい道ではない

わたしは先生に言った


「美大を目指したい。そして美術の教師になりたい」




すると

先生は顔をしかめた


そして、「うーん」と困ったような声をだした


「それは、ちょっと別の努力が必要になります。

だってうちの学校



美術の授業がないから」


ポーン


え?

美術の授業がない高校なんてこの世にあるの?

美術ってどこの高校でもあるものと思ってた



「だから、美術の先生もいないの。たぶん美大に進学した実績もない。学校としてはあまり力になれないかも」



ガーンゲロー





このとき、わたしはいかに自分が無知で能天気な人間なのかを思い知った


美術は普通科の高校なら必修科目だと思い込んでいた


でも、その知識は何のソースもなく、自分が見たテレビや漫画の世界がそうだったからというだけだ




「わたしも詳しくは知らないけど、美大の受験は独特で、専用の塾に行く必要があると思う。誰々先生に何年習ったが重視される世界とも聞いたことがある。本気ならすぐにご両親に相談したほうがいい」




とても良い先生だった担任はそのようにアドバイスしてくれた




それに従い、家で両親に美大受験のために予備校に通いたいと相談・・・









しなかったチーン








そのころ、わたしの家は荒れていた



主な原因は

・兄の大学受験

 →たいして勉強しないのにプライドだけやたら高く、成績が上がらないことを周りのせいにして当たり散らす。その後結局受験に失敗し仮面浪人となる


・母の不安定

 →更年期だったのかやたら不安定だった。人間関係が下手で父との夫婦関係やパート先の人間関係、ご近所さんとの人間関係、すべておかしくなっており、一時期精神科に通って薬をもらっていた



こんな状況だが、父は衣食住さえ与えていれば親の役目は果たしているというタイプで、家族のために何かするということはなかった


仕事はするしお金も家に入れるが、あとは好きにさせてくれとばかりに趣味に走っていた



こんな感じで、わたしは家族の誰にも相談しなかった。しても無駄だと思っていた


たいして裕福でもないのに、兄の塾に莫大なお金がかかっていることも知っていた


その上、わたしの美大受験塾のお金を払ってとは言えなかった




あと、わたしにお金をかけるとプライドがやたら高く嫉妬深い兄が絡んでくるのが目に見えていた


わたしは兄とはなるべく関わりたくなかった


わたしも全体で見ればたいして出来のいい方ではなかったが、兄よりはなんでもできた


それが兄にとっては憎らしかったのだろう

わたしは兄にとって嫉妬とストレス発散の対象だった


思い出したくもない嫌な思い出がたくさんある




なので、あっさりあきらめた


家族と距離を置き、学校は楽しく通い、落ちこぼれない成績でいれば大学にも行ける



今の生活を守っていこう


これでいいやと思った





そして絵は描かなくなった

ノートにイラストを描いたりするのは社会人になってからも好きだったけど


いつの間にか、あの手が勝手に動く感覚は無くなってしまった




でも、時に思う

あの手が勝手に動く感覚のあるときに

絵の基礎を学んでみたかったなと



今からでも絵の勉強をすることはできるけれど

あの感覚が戻ることはもうないだろう



時間を忘れて没頭する何か

今の私の人生にはない



まだ40年だか50年人生が続くとしたら

またそういう物に出会えるのだろうか



美術館ですばらしい作品に囲まれながら、そんなことを考えていた