最近、スポーツの監督の暴力事件が問題になってますよね。


愛のムチだか何だかわかりませんが、暴力は論外です。


でも、その理由に、プレッシャーがあった、とか、選手に熱意を伝えたかった、と聞くと、理解できる部分もあるんです。


「鬼コーチ」を自称する私としては、複雑な思いになるんです。


もちろん、暴力は振るいませんよ(苦笑)


退院直後、私は、かなり焦ってました。


「6か月の壁」をすでに超え、夫の右手右足は全く動かず、病院からは、「歩けません」と言われ、途方にくれました。


その頃の夫は、まだ、ぼ~としていて、自分の将来のことなど、考えているかどうか、という状態。


私たちは、正直、特別仲の良い夫婦でもなく、子育ての終わった倦怠期の夫婦で、お互いに、たいして愛情があったわけではないですが、変わり果てた夫の姿を見ていると、「私がなんとかしてやらなければ」という思いがフツフツ湧いてきたのです。


私は、家で、出来る限りのリハビリをしようと心に決めました。


週に2回のデイサービスと週末のちょっとしたお出かけ、それが二人にとっての休憩でした。


それ以外は、可能なかぎりリハビリをしよう。


退院が8月だったので、ちょうど受験生が本気モードになる頃でした。


私は、翌年の春まで、受験生になったつもりで、頑張ってみようと思いました。


必死、我武者羅、、、、とにかく、いいと思ったことは何でもしました。


春までに成果がでなければ、あきらめよう、、「悔いなし」と思えるようにしよう、と思いました。


そんな二人のリハビリを見ていた息子は、「できるできると言いながら、リハするなんて、まるで、宗教みたいだ。そんなこと、本当にやらなきゃならないの?もう親父も60代、車いすでいいじゃないの。楽しい老後を送りなよ」と言いました。


考えてみたら、命が助かっただけで、ありがたいのです。


私は、欲張りなんでしょうか?


夫のため、と言いながら、思ったように成果が出ないと、イライラして、夫にきつい言葉を浴びせました。


これって、問題の監督と同じじゃないですか?


その時の私は、「誰よりもあなたのためを思ってる、あなたも必死になってほしい」と訴え、夫もそれに答えて頑張ってくれました。


その時のことを思い出すと、かなり効率の悪いリハをしていたんだろうと思いますが、そのお蔭で、春には、家のトイレに私の介助で歩いて行けるようになりました。


今は、良いPTにも恵まれ、少しは、落ち着いたリハができていると思うのですが、やっぱり私は鬼コーチです。


頭では、わかっていても、感情的になる時があります。


感情的になって、いい影響など何もありませんよね。


ニュースを見て、「こんな監督やめるべきよ」って言ったら、夫が「そうだそうだ」だって。


密かに、反省する私、です。