長女が一歳半健診で、要観察になり

そこからすぐに療育につながりました。

しかし、3歳検診でも、母の期待むなしく、

脱走しそうになりました。


そんなブログを数日前、5日に渡って書きました。


そこで、客観的に自分のことを見てみると、

ベクトルが私(母)に向いているんですよね。


・この子はなぜ私を困らせるのか

・保育園の先生に指摘されるまで、娘のことに気づけなかった私は母親失格だ

・私のせいで、娘がこうなったんだ

・私の育て方が悪かったんだ

・娘が療育に通っているって、世間の人は私のことをダメな母だと思うかもしれない

・仕事もしながら、療育の見学に行くのは大変

・私に負担が少ないよう、療育は通いやすさで決めちゃおう


私が悪い、私は悲しい、

私が周りからどうみられているか不安、

私が楽なように…


とにかく私、私、私だったのです。


そのとき、娘のことは

ほんのわずかしか考えられませんでした。


でも、しばらく経って、

娘にベクトルを向けることができたとき、


・娘はきっと困っているんだ

・みんなと同じようにやりたくでもできないのは、何か原因があるはず

・私や保育園の先生や、療育の先生、みんなで力を合わせて、娘の困りごとを少しずつ解消してあげよう

・そもそも、娘がみんなと同じで、いる必要あるのかな?これも娘の素敵な個性ではないだろうか

・娘が毎日、元気で、楽しいと思ってくれたら、もうそれだけでいいよね。

・怒ってるときも、泣いてるときも、笑っているときも、どんな長女も大好き、そのままでいいんだよ


こんな風に考えられるようになりました。


自分にベクトルが向いている時は、苦しかったです。


しかし、娘にベクトルが向いている時は、

娘が困っていることは助けてあげたい、そして、今の娘のありのままの姿も愛おしい、

そんなふうに思えるようになりました。




↑久しぶりに博多駅へ行ってきました✨

おめかしもして、楽しかったです☺️