
今日アップしたブログに、東日本大震災から2年というこの日に、
自分の心を落ち着かせるため、茨木のり子さんの詩を読んでいるということを
書きましたが、
仕事が終わって帰ってきて、河北新報を見ると・・・
『社説』に茨木のり子さんの詩が引用されていて驚きました。

以下、この河北新報の社説から一部転載。
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故茨木のり子さんの詩『苦しみの日々 哀しみの日々』の一節を思い浮かべる。
<苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど>
<受け止めるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから>
受難は不幸ではあるけれど、「みずからを養う時間」と茨木さん。
私たちは誇りを持っていい。深く生きていることに。
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この社説では
『苦しみの日々 哀しみの日々』の冒頭の一節と結びの一節を引用しています。
(詩の全文の転載は著作権上控えますが、
「茨木のり子 苦しみの日々 哀しみの日々」でググると、
全文見られると思います)
この詩は・・・

右から4番目の『椅りかからず』に収録されています。

何度も何度も読んで、黄ばんでます・・・
上記の詩を始め、『椅りかからず』や『自分の感受性くらい』『一人は賑やか』は、
私のバイブルといっても過言ではないくらい、ことあるごとに読み返しています。
いつかのブログにも書いたんですが『知命』。これも好きだなぁ。
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『知命』
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略
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まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら だぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで
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一人でやれることって、たかが知れてますもんね。
ボランティアだって、なかなか一人で出来るものじゃないですよね。
周りの方々にずいぶん支えられていました。
そして今も周りの方々に支えられています。
それと気づかせぬほどのさりげなさで・・・。
皆さん、いつもありがとうございます。
時代を超えて、凜と真っ直ぐに語りかけてくる茨木のり子さんの言葉。
数年前ピンとこなかった詩が、とあるきっかけで理解出来たり、
読む度に、毎回、気付きを与えられます。
震災から2年を経て、また少し感じ方も違ってきているかもしれません。