昨日、高校時代一緒にダンスを踊った友人に物資を届けるため、

津波被害のあった釜石に行きました。





ダンス仲間たちやその家族、仲間の会社などからたくさんの物資が集まり、

その物資とみんなの気持ちをいっぱいに乗せて、向かいました。



東和IC~釜石街道~仙人峠道路

というルートで釜石入り。

意外にスムーズに行け、仙台から4時間ほどで到着。


釜石駅まではほぼ普通の街並みだったんですが、

釜石駅を越えると、状況は一変・・・


車が通るたび、人が歩くたび、土埃が舞い、マスクなしではいられません。



釜石市大渡町。




友人の会社のビル1階




1階事務所の中








釜石保育園




保育園の窓には木が突き刺さっています



この状況で子供たちは・・・と心配しましたが、

保育園の子供たち・先生方は奇跡的に全員無事だったそうです。

新聞でも取り上げられていましたが、釜石では、

津波教育の徹底のおかげで、

幼稚園、保育園、小学校、中学校の生徒、先生方、全員無事だったそうです。







釜石消防署




1階部分を越えるほどの津波のあとが線になりくっきり残っています。








電柱が倒れ、家屋を圧迫。

下を通りましたが、非常に危険。


そこらじゅうに転がる車は、どれもぐっしゃりと潰れ、原形をとどめていません。
(左側の車は、この日停まってた車)







1階部分が津波で流され、鉄骨がむき出しに。




道路や通路の両脇に瓦礫が山のように積まれています。

町は広範囲に渡り、このような状態が続きます。







 

左:真っ二つに折れ、電線がむき出しになった電柱。



信号機。






後ろの建物と同じものがあったと思われますが、無惨につぶてれいます。




川沿いの道路を走らせると、木々には、無数の衣類などがひっかかっています。





保育園や消防局、病院、大きなビルや建物、家屋が立ち並ぶ町の中心部が

まさかこんな状態になってしまうなんて・・・

ケーブルテレビ局に務める友人は地震後、釜石保育園の子供たちの避難を手伝い、

取材のため、車で市役所に向かったそうです。

その途中、黒いスライムのような津波が・・・

たまたま差し掛かった交差点を曲がったことで九死に一生をえたそうです。

その2~3台後ろは津波にのまれたかもしれない、と。



建物は残っているものもありますが、ほとんど1階部分が壊滅。

つまり、残っていても使い物にならない状態です。

町の中は、途切れることがないほどの瓦礫の山が列をなしています。

自衛隊の皆さんが瓦礫の撤去をして下さったようで、

道路や通路は通れるようになっていますが、

あの日から20日で、まだこの光景・・・。



まだまだ残る瓦礫の撤去、

建物は修復不可能なものがほとんどなので、取り壊さないといけないものが多いでしょう。

復興にはかなりの時間がかかりそうです。



我が家の電気が通って、TVをつけた時に見た釜石の津波映像には

本当に体が凍りつきました。

友人夫婦が無事だったのは奇跡かもしれない。

ライフラインが未だ全滅という生活で、いつまでこの状況が・・・という不安を抱える中、

笑顔(変顔!)で迎えてくれた友人夫婦。

生きててくれて本当にありがとう!!!