私個人としては,日本語が大好きである。美しいし,微妙なニュアンスの使い分けなど奥深い。

 

 

 で,テレビ報道などでは時折耳障りな言葉が出てくる。

耳障りに感じていない方も多いと思われるので,勘弁してください。

私だけかも知れない。教育学者でもあるので,「子どもの教育に・・・」という観点からも気になってしまう。

 

 

 まず,野球放送でしばしば使用されている『勝利の方程式』という言葉。私の記憶では,読売ジャイアンツの元監督長嶋茂雄さんが最初に使った言葉である。

 調べてみても,やはりルーツはそこにあるようだった。

 私は,初めてその言葉が登場したときを記憶しているが,そもそも長嶋さんは日本語の使い方があまり正確ではない人であった。多分『勝利の方式』と言いたかったのだろう。

 当時のアナウンサーにプロとしてのプライドがあったのかどうか分からないが,著名人でもあり指摘することをしなかった。

 

 

 中学校で『方程式』を学んで意味を理解している方ならおよそご存知のことと思うが,数学上の『方程式』はそもそも中国から渡ってきた『方程』という語から成っている。簡単に言うと,文字を含んだ等式(=で結ばれた数式)のうち,その文字に特別な値を代入したときに限って成り立つ等式のことである。

 

 

 したがって,あるチームが勝ちパターンで必ず用いる継投策や起用される投手陣のことを『方程式』というのは,明らかにおかしい。百歩譲って,仮に,勝つために何らかの式を立てたとして,そこにA,B,Cという投手をつぎ込んで(方程式でいうと特別な値を代入して)試合に勝つことがあったとしても,これら投手陣は『この試合における勝つための方程式の解であった』とでも表現すべきであろう。

 『方程式』という語が比喩的に使われる場合,日本語としてはしばしば答え(解)が見つけにくい事柄について用いられてきた。例えば,『愛の方程式』というふうに,・・・。この場合も答えらしきものが判明あるいは皆が認めた場合は,その答えを表現するときはやはり『方程式』ではなく『』ということになる。

 

 どう考えても,『勝利の方式』が相応しい。

 

 このように著名人が用いて,誰かが指摘するどころかさらにその表現を使い続けたことで,いつの間にか定着してしまうという言葉は少なくない。

 今では,ネットの中で認知された言葉として説明されていたりする。

 

 ただ,学術的な論文などでは,引用元が明らかでないネットの情報は信用されない。だから,極力使用しないというのが,研究者としての『方程式』,・・・いや『方式』である。