7月も終わるというのに,よく雨が降る。今年の梅雨は長い。
ところで,以前から疑問に思い続けてきたことがある。天気予報などでの雨量はなぜ一貫してmmなのか?ということ。
梅雨の時期の,35mm,50mm,そして200mmに及んでも,一貫してこの調子である。
テレビを観ていて,私が「20cmかあ」というと,妻が嘲笑する。
Yahoo 知恵袋を覗くと,「雨量はなぜmmか?」という疑問を投げかけている方がいた。私と同様な印象をお持ちなのかも知れないと,それに対する回答も見てみた。
でも,私(たち)の疑問に答えているものはなかった。
一つは,体積ではなく長さで計測する所以を記していた。体積で表現すると,どのくらいの範囲(面積)に降っているかで,量の比較が困難になる。だから,単位面積当たりの長さで比較した方が分かり易い。
そのくらいは,分かります。そんなことが疑問なのではありません。
もう一つは,そもそも測候所ではmm計が使用されているということ。これも,それはそうだろうという感想である。お天気の専門家がmmで表現するだろうということは想像できる。私も,理数系人間の端くれである。雨というものが0.1mm単位から問題にされ,有効数字の観点で誤差を問題にした場合,mmで述べることがより厳密であることは分かる。
そんなことが疑問なのでもありません。
注)有効数字と誤差
例えば,陸上競技では,10kmロードレースとトラックでの10000m走がある。どちらも同じ距離だが,m表記をしたトラックレースの方が有効桁数が多いので,認められている誤差がロードよりも小さなものになる。
疑問なのは,そのような専門家が観ているのでない天気予報やニュースで,なぜ雨に関してだけは頑なに単位を読み替えずにmmに拘るのかということなのである。
因みに私の場合数学を専門としているが,専門に固執すると一般の方に嫌われること多々あるので,少々厳密性を欠いても,流して大雑把にコミュニケーションをとるのが通例である。
雨の多い時期に天気予報では,「今月は2000mmを超える雨量でした」という表現もしばしば聞かれる。これなどは,単位は二つ上のm(メートル)までいっているし,2035mmでもおそらく同様に報道するだろうから,有効数字の観点から誤差を問題にしているとも考えられない。
日常会話で,「わが子は生まれてからすくすく育ち,ついに1000mmを超えた」とは,言わない。専門的にどうかは別にして,「1mを超えた」の方が断然伝わるのだ。
ということで,ビールを飲みながら,天気予報を観ては「2mも降ったのか?」とこぼし長年すっきりしなかったが,・・・(2000mmと言われても,2mと言っても,どのみち雨の場合素人には何かぴんとはこない)。
が,このたび,少しすっきりする回答を考え出しました。
これは,かなり独断に満ちた考えなので,人に言うのは酒席くらいにしていただきたい(誰も,他人には言わないか)。
なぜ,雨がmmなのか?それは,雨が(一般人に対して)測定を待ってくれないからである。
例えば,測定を待ってくれるものに,雪がある。
「雪が,ずんずん降ってきたなあ。あと30分後にでも計ってみよう」
そして,30分後。
「50cm積もっているなあ」と,こんな具合(待ってくれるから,単位もじっくり読み替えられる)。
降っているのは,同じ雨でも,川の水嵩が増す場合には,
「水位が1m上がった」というふうに表現する。
計るのを待ってくれて,見た目に測定可能だからだ。
ところが,降ってくる雨は,刻刻降っては消えてなくなってしまう。計るのを待ってくれない。1mの長さの雨が頭に突き刺さる訳ではないのだ。
だから,50cmと言っても,1mと言ってもピンとこない。では,なぜ500mmなのか,1000mmなのか。
外出していて,空が暗くなり,頬に微かに冷たいものが落ちる。これが,単位面積当たり0.1mmの雨である。つまり,一粒の雨である。顔を手で拭えば,消えてなくなっている。
そして空も真っ暗になり,いよいよぽつぽつと落ちてくる。この雨の粒の一つ一つを0.1mmの雨と解せば,mm表現の意図が浮かび上がってくる。
100mmもの雨とは,単位面積に1000粒雨滴が落ちてくる雨だということ。
2000mmを超える雨とは,単位面積に2万粒超の雨が打ちつけるということになる。
この理解で,天気予報への違和感がぐっとなくなった。
個人的には気に入っていて,相変わらずビールを飲みながらニュースを観ては,
「あしたは,外へ出ると,頭に2000粒の雨が落ちてくるらしいよ」
妻は,依然として呆れた笑いである。