20歳でオーストラリアに留学したときに、驚いた。

大きなホールで、数百人が聞いている講義。

 

他の学生たちのメモをとりまくる姿。びっくりした。

最初の講義。私も真似してメモとってみようと思ったけれど、

聞き取れた単語5ー10こくらいをメモしたのみ。

 

1つの授業は週2の講義と週1の少人数でのディスカッションで構成されていたのだけど、少人数のディスカッションクラスでは、必ず、「前回の講義の要約は?」という質問からスタートする。みんながメモを見ながら要約をペラペラと話す中で、私は10単語も書かれていない聞き取れた単語のメモを見て、

 

「こんなメモから要約ができるわけなーい!逃げ出したーい!」と30秒に1回くらい時計を見て、早く授業が終わることだけを願っていた。

 

日本語学科がある大学で、一人日本人の教授がいて、何度か授業がわからないと相談に行くと、

 

「語学はコップの水だ!溢れるまでは気づかないけど、必ず上達しているから。水が溢れるまで待て!!!」と言われた。

 

その後も、「先生、全然水が溢れないんですけど・・・」と相談しに行った記憶がある。でも半年後、休みが終わって久しぶりに授業に行くと、「あれ?なんかわかるぞ?!」と。 1年の最後の授業では、満足行くほどノートが取れるようになったのを覚えている。すごく小さいコップだったかもしれないけれど、溢れたなぁと思う瞬間だった。

 

今娘を見て、コップの水が溢れているのを感じる。オランダ語も。英語も。 この水が溢れている瞬間を見るというのはとても充実感ある。

 

それが楽しくてやってるのかもなぁ、英語の先生。